今日 8月27日(火)は、ジョスカン・デ・プレ(ジョスカン・デプレ)の命日です。
ジョスカン・デ・プレ(1440(50)年頃~1521年8月27日)は、中期ルネサンス期におけるフランドル楽派 (ネーデルラント楽派とも言います)の中で、当時の全ての作曲技法を見事なまでに意のままに操り、存命中に既に著名な作曲家・声楽家として知られ、現在ではその時代の最も優れた作曲家であるとみなされています。本名はジョスカン・ルブロアットです。
■モテット「アヴェ・マリア」
ーーー (約5分) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
https://youtu.be/kxLv2pPiQVI
■2019年8月27日 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ジョスカンの青少年時代のことはよくわかっていません。(たぶん最初は、サン=カンタンの少年聖歌隊員から音楽にたずさわったと思われます。)
1459~74年にミラノ大聖堂歌手として、その後マリア・スフォールツァの礼拝堂に勤めた後、1476年に枢機卿アスカニオ・スフォルツァに仕え、ローマへ同行しました。(1477年4月には、エクス=アン=プロヴァンスに居を構えていたアンジュー家のルネI世に仕える音楽団の一員であったことが記録に残っています。)
1486~99年の間教皇庁礼拝堂に勤めた後、1500年から2~3年の間、フランス王ルイ12世の宮廷楽団のメンバーであったようです。最後はコンデ大聖堂首席司祭として生涯を終えました。
500年以上経ている現在でも、ミサ曲が25、モテットが56、世俗歌曲が65曲と多くの作品が残っています。
今日ご紹介するのは、モテット(モテト または モテトゥス)「アヴェ・マリア(Ave Maria ...Virgo serena)」 (1484~85年作曲)です。
モテットとは、声楽曲のジャンルのひとつで、一般的に中世末期からルネサンス期にかけて成立・発達した、ミサ曲以外のポリフォニー(複数の独立した声部(パート)からなる多声音楽)による宗教曲を指します。例えば、テノールの最下声部にグレゴリオ聖歌の定旋律を置き上声部は定旋律とは異なった歌詞を歌う宗教曲で、13世紀頃から盛んに作曲されるようになりました。
もう1曲は、ミサ曲『パンジェ・リングァ(舌で祝え:ほめたたえよ)』(1539年作曲)であり、以下の6部より構成されます。
1.Pange Lingua gloriosi
2.Kyrie
3.Gloria
4.Credo
5.Sanctus
6.Agnus Dei
■ミサ曲『パンジェ・リングァ(舌で祝え:ほめたたえよ)』より、
「キリエ エレイソン」(主よ 憐れみ給え)
ーーー (約3分) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
https://youtu.be/ZtfmRE8nYNQ
■2019年8月27日 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小さな庭に育つサボテン「アストロフィツム」
雌しべの先はまだかたまっています。午前7時30分。
薄日が射していたので外に出して日光浴させました。
午前中の明るさは、手持ちの照度計では、30,000~46,000 LUXでした。
雌しべの先がはっきり分かれて、開いてきました。前回は9つでしたが、今回は7つに分かれています。
午後1時から2時の明るさは、17,000 Luxでした。
冷蔵庫に保存しておいた7稜兜の雄しべの花粉で、受粉(交配)させてみました。(午後2時20分)
雌しべは、交配適期だと思います。雄しべの花粉(一昨日採取したもの)が、生きているといいのですが・・・。
受粉したか否かは、後で分かりますので。気長に待ちます。♪
後日、またご報告できると良いですね。
午後9時の花の様子。
まだわずかに雄しべと雌しべが見えています。
今回のまとめ
小さな庭のサボテン アストロフィツム「7稜ヒトデ兜」の開花は、
26日の午後2時30分に気がついて、28日の0時には雄しべと雌しべが見えなくなりました。
開花から雄しべと雌しべが見えなくなる(しぼむ)まで、約1日半(約36時間)と言うことが分かりました。
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