カール ・ツェルニー  「ピアノ協奏曲」ハ長調 作品153 | クラシックばっか 時空間

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 今日 2月21日は、カール・ツェルニー (チェルニー) の誕生日である。

 カール・ツェルニー(1791~1857)は、オーストリアのピアニストであり、教育家、作曲家である。先祖はボヘミア出身のスラヴ人で、音楽家の家系である。

 

 苗字はチェコ語で チェルニー。(ドイツ語でも発音はチェルニーであるが、日本ではツェルニーと表記されたり、呼ばれたりする事が多い。)

   ウィーンに生まれ、幼い頃よりピアノ教師の父にピアノを学んだ。9歳の時ウィーンでモーツァルトの「ピアノ協奏曲」K491を弾きデビュー。

 

 父からバッハ、モーツァルト、クレメンティの作品を主に教えられた彼は、10歳の時には、大作曲家の主要作品をほとんど暗譜で演奏することが出来た。

 

 西暦1800~03年、ベートーヴェンに師事し、作曲、管弦楽法を身につける。(フンメルやクレメンティからも学んでいる。)

 

 暗譜力に優れていたためベートーヴェンの曲は全て演奏することができ、「ピアノ協奏曲第5番」《皇帝》のウィーン初演では、ソリストを務めている。

  ピアノ教師としても活躍したが、貴族階級へのレッスンは精神的な疲労を招き、1836年にはピアノ教師としての活動は停止、作曲に専念するようになる。

 

 温和で人が良く気が弱かったと伝えられ、師や弟子(リストやレシェティツキなど)のように派手な活動はしなかったが、その後の音楽界に大きな影響を与えた人物の一人といえる。

  当時はピアノという楽器の成長期であり、その新しい楽器の奏法技術を分析・整理・体系化し、テクニックに焦点をしぼり追求したエチュードを数多く残した。

 

  またその後のピアノ界で活躍した多くの弟子を育てた功績は非常に大きい。(弟子フランツ・リスト(1811~1886)の「超絶技巧練習曲」はツェルニーに献呈されている。)

 

  またショパンとも交流があり、互いに影響を与え合ったが、ショパン(1810~1849)亡き後、1850年以降はピアニストとして表舞台に立つことはなかった。

 作品数は多く、作品番号は861に上り、作品は未出版のものを含めて1,000曲を超え、多くのピアノ曲、劇音楽、交響曲、序曲、室内楽曲、合唱曲、歌曲、ミサ曲などがあり、非常に幅広いジャンルにわたっている。

 

  しかし、現在では、俗称「ツェルニー30番」(技巧の練習曲 Op.849)、「ツェルニー40番」(熟練の手引き Op.299)、「ツェルニー50番」(指使いの技法 Op.740)をはじめとするいくつかのピアノ教本が、一般には知られるのみである。

 今日ご紹介する 「ピアノ協奏曲」ハ長調 作品153 は、4手のための「ピアノ協奏曲」である。全3楽章からなり、楽曲構成は以下の通りである。

・第1楽章:Allegro con brio(アレグロ コン ブリオ)
           陽気に速く

・第2楽章:Adagio espressivo
     (アダージョ エスプレッシーヴォ)
          ゆるやかに  表情をこめて

・第3楽章:Rondo alla Polacca Vivace
         (ロンド アラ ポラッカ ヴィヴァーチェ)
           回旋曲 ポーランド風(ポロネーズ風)に
           活発に速く


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□1□(演奏時間:約33分)
■1■ 「ピアノ協奏曲」ハ長調 作品153 □ ▶ Carl Czerny - Piano Concerto in C major for four hands, Op.153 - YouTube


□2□(演奏時間:約31分)

■2■ 「ピアノ協奏曲」ハ長調 作品153 □ ▶ ♫ Op.153, Concerto in C Major for Piano 4-Hands (Carl Czerny Serious Music) - YouTube