バットの芯でとらえる | lilyのつれづれなるままに

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九州某県で、のびのびと暮らしています。日々のよしなしごとを時々つづります。

小説家や、コピーライターのような文章は求められていない。


私が日々、書いたりタイプしたりしているのは、いちばん身近なものに例えると新聞のベタ記事(1段程度で、写真も殆どつかない)のような、事実と、時にはその様子を描いた、とてもあっさりしたものだ。


だから、やろうと思えば、使い古された言葉、手垢のついた言葉…

なんちゅーか、自分の脳みそを活用せず引き出した言葉だけを組み立てても、文章が完成してしまう。


なんて楽な仕事だろうとわれながら思う。


だけど、そこになんの楽しみがあるだろうか?

そんな楽な仕事させられるもうひとりの私も、そんな鮮度ゼロの文章を目にする人も、時間のムダとしかいいようがない。


だから今年、私は意地を張ることに決めました。


「どんな簡単な文章でも、

その場の雰囲気や事実を伝えるのにもっともふさわしい言葉、

誰が読んでも誤解なく受け入れられるような言葉を

徹底的に探し求めることを誓います」


…ただし、上のカッコ内は、あくまで仕事上の文章に限るものとする…



どうしてこんなことを書いたかというと。

飾り気ないけれど陳腐でもない表現で、ある事実を的確に伝えられたらいいなと

折に触れて、けれど強く、思っていました。


先日、あるかんたんな記事を書いていたら、

バットの芯で打球をとらえたときのような、

すばらしい手ごたえを一瞬だけとらえることができたのです。

思考と印象と風景という瞬時に移ろいゆくものが、

言葉という見えるものに凝縮されたのです。


その幸福な感触は今も生々しく、手のひらに残っている。


一歩だけでも前に…

それができなくとも、

自ら退くことがないように…


ということを小さくスローガンに掲げて、ただいまやっていっております。