夜に啼く鶯 -26ページ目

夜に啼く鶯

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ギター弾きに貸す部屋ないのであれば、

蟻の調教師に貸す部屋もないことは必然で、

シックなスカジャンが欲しい。

 

あちらで「私は神になる」などと言えば「私いい病院知ってますよ?」てなものだろうがこちらで「私は仏になる」と言えば「仏教の本来の目的はそれだよね」となる、わけでもない。

 

デヴィッド・ボウイの『Aladdin Sane』を聴くといつも同じ場所に引き戻された。そこは雨の京都で高校生の僕はどこかの寺の近くの(京都では概ねどこかの寺の近くだろうけれど)大きな駐車場に停められたバスの中に一人でいる。気分が悪かったか何かで僕はバスを降りず他校に通う友人から借りたCDウォークマンでこのアルバムを聴きながら車窓からそぼ降る雨の中でも楽しそうに往きすぎる修学旅行生たちと時折我慢できなくなったように窓ガラスを滑り落ちていく雨滴を眺めていた。

その時僕が何を考えていたかなんてことは覚えてはいない。きっとたいしたことは考えていなかったのだと思う。なぜ土産物屋で木刀?武器だろ?とか、本当にお茶漬け出されるのかな?お代わり頼んだらどうなるのかな?とかそんな下らないことを、それほど下らないとも言えないことを感じながら。

 

先日、永らく連絡を取っていなかった友人から「デヴィッド・ボウイが死んだね」とメールがあった。CDウォークマンを貸してくれた友人だ。

ちょっとした近況のやり取りの後、CDラックの中から『Aladdin Sane』を探し出して久しぶりに聴いた。今聴いてみても聴き飽きるということはない。

けれど僕をあのバスの中に連れていくことはなかった。