酢の物
お昼過ぎから造影剤CT。
造影剤のアレルギー手帳を持っているのでそれを渡したら、モニター付けてくれました。
閉所恐怖症なので、目の上にタオルかけてもらいました![]()
終わって医師らしき人から大丈夫ですか?発疹も出てないし脈も大丈夫です。と言われ無事終了。
帰りに車で遠回りして、
ここは生まれて育ったところだけど、一年前に引っ越してきて思い出はない。
街も随分変わったし。
実家近くは変わってないけど立て替えた家も多い。
もうここともお別れなんだ![]()
東京の家は夫と設計士さんと考えたのだけど、帰るに当たって本来ののんびりではない。
どういった生活になるのか全く想像できない。
腫瘍マーカー500超えちゃったし
、基準値の13.5倍になった今治るとか、
そういったレベルではない
次は1000超えると思う。
どんどん痛みが出てきて、麻薬の量も増えて緩和病棟に入院。
流れはそうだろう。
今はまだ、常時麻薬を使うほどではない。
まだまだ元気だし、食欲もある。
あわよくばマーカー値が下がってるかも?と淡い期待は裏切られ、
現実は厳しいものでした![]()
![]()
もう治るのはたぶん無理。
一日でも苦しむことなく生きれたらと思う。
誰かにこうなんよ。って生の声で言えば泣いてしまいそう。
昨日の今日だから気持ちはどん底てすわ。
東京での生活は、抗がん剤やるならやった翌日あたりから1週間は起き上がれないだろう。
口内炎出来たらどこに行けば?まだ行き先決めてない。
早く転院したい。
効かないロンサーフなんかしてたって、マーカーはあがるだけだろう。
自覚してないけどもう末期なんだよね。
たぶん来年はこの世にはいないだろう。
お願いしてる亡娘の本も仕上げなきゃ。
もう一度ゆりちゃんとは会わなきゃ。
ネガティブなことしか今は浮かんできません。
癌の告知を受けて一番ショックだったのは手術前に担当医から
1. スキルス4型だと言われた時(違ってた)6月に言われ秋までかなと思った。
2. CA19-9が200上がり500になった時/今回だけど今年は生きてるけど来春ぐらいかな・
3.初めての転移がわかり多発肺転移で手術不可と聞いた時。
