だけどホメオパシーのマークはヘビとタカのマークです。
ヘビの低い目線ではなく、タカの高い目線ということでしょうか?
共産時代はホメオパシーも禁止ではなかったが言動の規制があったため、地元民も知らなかった
らしいというハーネマンの生家。ちょうど売家になっていました。
道行く人がKさんのガイドを聞いて「えぇ~っ!ここそうだったの?」と言っていました。
ハーネマンのお父様はマイセンの絵付け職人で、石や草花から磁器の絵付けの色をとったり植物の
スケッチをして勉強していました。ハーネマンも一緒についていき、そのときに植物について詳しくなったと
いう話を聞きました。
家は比較的裕福だったが買った家の支払い(普通は職人は長屋暮らし)で手一杯だったので
学校に行くほどの余裕はなかったそうです。それでも才能あふれるハーネマン君はミュラー氏に
お金を出してもらって学校に通わせてもらうことになりました。
成績もよく、飛び級で進学し、働きながら大学にも通ったそうです。
ハーネマンの幼少期は小さく病弱だったそうです。だけど7ヶ国語を話すことが出来る(大人になってから)
ほど頭がいいなんてシリカだったのでしょうか。そのわりに長生きして若い奥様と結婚できたなんて、
ホメオパシーがとても有効だという証明になりますね!
マイセン博物館にあるハーネマンコーナーにホメオパシーの展示があります。
昔使われたレメディーやクリームの展示もあります。今でも十分使えそうなものばかり。
ゲーテのファウストの絵も飾られています。
ハーネマン薬局。薬局はドイツでアポテカ(Apotheke)といいます。赤いAマークが目印。
お店に入って左はアロパシー、右はホメオパシーと目的別にわけられています。
私はここでホメオパシッククリームを購入。シリカとカルクフロアのレメディー入りでつや肌になりますよ。
街の建物がやっぱり素敵でした。こんなアイアンの飾りがなんとも言えず、いい!
建物とガーデンが一体しているような、そんな建て方をしているようでした。
日本もこうだったらいいのに!
お昼は丘の上の古いレストランで食べました。眺めがよく、雰囲気もよかったです。