外は日中の炎熱が過ぎ去っており、涼しい風が心地よかった。
オレンジ色に染まったこの時間は
きっと神さまがエデンの園でアダムと話をした時間だろう。
近くのスーパーまで足を運んだ。
今日は日曜日。
スーパーの中はいつになく家族連れの客でごった返していた。
その客の合間を縫って、目的の食料品を買った。
歩いて5分もかからないところにそのスーパーはあった。
わたしは、人生の空虚感、悲哀とは無縁の生き方をしている。
ただ、普通は、人はそれをこころに感じながら生きている。
こころの中にぽっかりと空いた穴を抱えながら人は生きる。
人はそれを、何かで埋めようと努力するはずだ。
しかし、決して埋めることができないのが現実の姿。
諸行無常、すばらしい響きだ。
破滅の美学がそこにある。
愛の欠如。
わかっている。
人はみな孤独なのだ。
冷たい世の中にあって
明日をも知れぬ命を生きて行かざるを得ない。
それが人間の宿命。
「コップ一杯の水」を必要な人に与える。
それを知っている人間がこの貪欲な世界には
もう、いないのではないだろうか?
たしかに。
もう、いない。
人は与えられたものしか、与えられないからだ。
人から奪い、破壊することはできるだろう。
しかし、与え、愛を構築できる人はいない。
世に存在するものは、愛と魂を失った孤独な人たち。
かれらには、あたたかいスープと冷えたコップ一杯の水が必要だ。
しかし、かれらが、仮にそれを受け取ったとしても
お礼の一つも言わない。
それは、かれらには感謝のこころが欠如しているからだ。
しかし、覚えておいて、もらいたいことがひとつある。
それは、「神は感謝しない邪悪な者にも親切である。」ことを・・・。
