忘却曲線 -95ページ目

三年習うより、十年師を探せ

この地に来て早15年経とうとしている。
知人も友人もほとんどいない中でスタートした生活。

そんな中で、心のよりどころだったことがひとつある。
それが「書」である。

真っ白な紙に心静かに筆を走らせること
墨のにおい
筆やお道具の手入れ
出来上がった作品の鑑賞
そのときの心が反映される素直さ
などなど…

子供のころから、これらすべてにおいて好きであった。

この地に来て、ある方の紹介で「師」に出会った。
書の師としては人生3人目の出会い。
師は、戦時中、戦地で文字書きの仕事を担当していたという。
あまりの字のうまさに急きょ、文字書きになってしまったんだと。
書のおかげで私は命がある。だから生涯書き続ける。と。

私はこの師に出会い、まさに書のとりことなった。
一日一書。
とにかく、気の向くまま、気の済むまで書き続けた。

書は贅沢な趣味だと思っている。
なにせ、ほとんどのものが消耗品でお金がかかる。

そんな中、あまりお金もないだろうと私を気遣う師。
いろんなものをいただいた。
新聞紙に練習すると筆が傷むからといって
紙などの消耗品を分けていただくこともあった。
しかし、そのいただいたもののほとんどは
師のすばらしい技に尽きる。
もちろん、到底真似出来ないレベルなのだが。

裏打ち、表装、篆刻

師はなんでもできる、しかもプロ並み(というかプロ)。
書は作品となることで、またお金がかかる。

多くの師が展覧会の出品をすすめるなか、
私の師は決してそのようなことは言わない。
師はその理由を言わないが、
きっとそれはお金がかかることだからなんだと思う。

自分たちの作品は、地元の学校やギャラリー
お寺さんなどに飾って、いろんな人に見ていただくことがほとんど。

師は耳が不自由だったため、
言葉を発することに不自由はないけれど
人の声を聞き取ることが難しいひとだった。

補聴器をつけると雑音が入るといってとても嫌がっていた。

補聴器無しで聞き取れる声は奥様の声。
そして、奥様が不思議がっていたのは
私の声は不思議と聞き取れることが多かったとのこと。


先生、ありがとう。もう15年もたちました。
もっとたくさんいろいろなことを学びたかったです。

5年前、師は静かに他界した。
それ以来、私は書に向き合うことができなくなった。
やはり、時はほとんどのことを解決してくれるのか…。

ようやく今、久しぶりに書いてみようかと思えるようになった。




帰省中止かな。

いつもお世話になっている上司の奥様が入院された。
様子がよくわからなくて心配。

上司のYさんは忙しくていつも朝早くから夜遅くまで仕事、仕事。
それでもいつも笑顔で私たちを元気付けてくださる。
今週に入り、少し元気がないなぁ、と思っていた。
たぶん、いろいろご心配だったのだろう。

Yさんは今日、お休みだった。
詳しいことはわからないのだけど、
当面はゆっくり奥様の傍で元気付けてほしいな。

さて、仕事。
実は、Yさん周り、大変な忙しさで…。
GW明け期限の書類が山ほどある。
GW中に実施される研修もあるため、
出社をしなくてはならない日がある。
そのときにやっつけちゃおう!という計算だったのではと思う。

一部の書類に関しては、分担して私も担当している。
私ができることは少ないかもしれないけれど
Yさんに安心してお休みしてほしい。

今回は少しでも帰省をしたかったのだけど
いろいろ重なっちゃってて、あきらめたほうがいいのかな。

火曜日の時点で20%くらいあきらめ気味だったのが
今日になり、80%くらいになっちゃったダウン
6月になったら少し帰れそう。
そのときに持ち越そうか。



「半農半x」

昨夜会った友人から「半農半x」っていう言葉が出た。

彼は今、会社員なのだけど、5年先くらいを目標に独立し
ゆくゆくは「半農半x」としていきたい、と。

みつかっているか?きづいているか?
っていうのはあるのかもしれないけれど…
「みんな必ず自分のxを持っている」(塩見直紀さん)

xっていうのは「好きなこと」「天職」っていうものみたい。
「小さな農のある生活をしつつ、そのxを社会のために
生かす生き方」
っていうことみたい。

よく飲み会などで、「理想」としてあげられる生活に
似ているなぁとも思うけど、きっと提唱した塩見さんに
とってみれば「似て非なるものなんだよな~」
ってところなんだろう。

ふむ、そんな生き方の提唱があるのね。

今の私は程遠い生活をしているけれど、
行き着く道が「農」なのかどうかはわからないけれど、

たった一度の人生なので
自分らしくのびのびと清清しく楽しくすごしていきたい
って改めて考えるきっかけになった。

くるくると、あっという間に過ぎる日々だけど
大切なものを見失わないようにしないとな。

いつも何気なくいろいろなことを考えるきっかけを
落としていってくれる友人に感謝している。