アメリカの経済学者、ピーター・ドラッカー(1909-2005)の格言である。

この格言の意味は、自分の能力を過大評価する人間が多いが、組織にとって、かけがえのない人間などいない。また、たとえいなくなったとしても、代わりの人間がすぐ現れるのが組織というものだ、という意味である。

私の見る限り、職場で「俺は仕事が出来る」と思い込んでいる人ほど、別にいなくても困らない人である事が多いような気がする。

さて、あなたは自分の職場では、誰の顔を思い浮かべただろうか。

もしあなたが自分の顔を思い浮かべたのなら、心配ない。

あなたは仕事が出来る人である。
アメリカの政治家・科学者、フランクリン(1706~1790)の格言である。

避雷針を発明した科学者として、またアメリカ独立宣言起草者の一人として、多方面に渡る活躍をしたフランクリンだが、彼のように、限られた人生でこれだけの事を為すには、明日の分の仕事までしてしまうような実行力が必要だったのだろう。

それにしても、私は、今ようやく明日までにやらなければならない仕事を、何とか仕上げた。

想定していた時間の3倍以上かかった・・・。

もう少し早く始めておくべきだったな・・・。
アメリカの社会学者クーリー(1864~1929)の言葉である。

明日があると思って今日を無為に過ごす事の愚かさを指摘しているのである。一日でも二日でも早く、やるべき事をやっておくのが賢い生き方だと言いたかったのであろう。

それにしても、私は、とある講習会に応募しようと思っていたが、仕事スケジュールの都合を考えていつ参加しようか、などとまごまごしていたら、アッと言う間に満席に・・・。

これで数ヶ月先の機会を待つ破目になってしまった。決断のタイミングとは、実に難しいものである・・・。
「猿に木登り(さるにきのぼり)」とは、相手の得意な事、知り尽くしている事を、わざわざ教える、という意味である。

「釈迦に説法」「孔子に論語」「河童に水練」と全く同じ意味で、並列して意味を強調するために、二つのことわざを続けて、言う事が多い。
「夏の風邪は犬もひかぬ(なつのかぜはいぬもひかぬ)」とは、夏に風邪をひくほど、つまらぬ事は無い、という意味である。

「夏の風邪は猿でもひかぬ」とも言う。

そういえば、ことわざには何故か、動物が出てくるものが多い。

特に犬と猿は貶(おとし)められているイメージがある。

ちょっと可哀想ですね。
這う這うの体(ほうほうのてい)とは、這(は)うような様子の意味から転じて、散々な目にあって、やっとの事で逃げ出す様、という意味である。また、慌てふためいて、取るものもとりあえず逃げる様子を表す言葉である。

このことわざの読みを試験に出すと、ほとんどの方が「はうはうのたい」と書くが、誤りである。

意地悪設問なので、就職試験などの時には注意したい。
主(ぬし)ある花とは「持ち主のある草花」という意味から転じて、すでに決まった男のある女性の事である。

ま、魅力的な異性は売れるのが早い、という事ですね。
「治(ち)にいて乱(らん)を忘(わす)れず」とは、よく治まった平和な時にも、世の中が乱れた時の事を忘れず、それに備える、いつも万一の場合を考えて、用意を怠らない、という意味である。

中国の「易教(えききょう)に出てくる言葉だ。

易教とは、孔子などが編纂したとされる、宇宙間や人間界のあらゆる現象は、陰陽二気の組み合わせによって生ずるとした、占いの書の事だ。五経の一つである。

「治にして乱を忘れず」「安くして危うきを忘れず」「太平にも乱を忘れるべからず」なども、同じ意味である。
「稼ぐに追い付く貧乏無し(かせぐにおいつくびんぼうなし)」とは、仕事に精を出してよく働いていれば、貧乏で困る事は無い、という意味である。

反対のことわざが「稼ぐに追い抜く貧乏神(かせぐにおいぬくびんぼうがみ)で、いくら働いても、貧乏から抜け切れない、という意味である。

後者は、前述のことわざをもじったものだ。

ことわざには、このように、対になっているものがあるが、これは矛盾している訳ではなく、どちらも真実だ。

さて、あなたはどちらでしょうか。
六月無礼(ろくがつぶれい)とは、陰暦六月は、暑気も盛りであるから、服装が多少乱れる位の無礼は、許されるという意味である。

残念ながら、これからは、真夏の日中にクーラーをキンキンにして冷やして過ごす、という生活は、不可能になった。

今から涼しく過ごせる衣服の準備が欠かせないのかもしれない。