「心機一転」

 「心機」とは心の動き、気持ちの意味。あることをきっかけとして、気持ちが良い方にすっかり変わることを表すことわざである。「心機」を「心気」と書くのはもちろん誤りである。

 さて、新年度が始まりました。新生活が始まる方は、期待半分、不安半分というところでしょうか。

 個人的には心機一転、何とかブログをサボらず継続させていきたい!と思ってましたが、このところ多忙で厳しくなってきました。ただ、皆さんのコメントですが、これは本当にありがたかったです。ま、そういった諸事情、はっきり言えば本業が忙し過ぎて「ブログを書いている時間が確保出来ない」という悲しい現実もありまして、一時ブログを休止させて頂きたいと思います。完全撤退ではありませんよ。

 私は毎日いろんな方のブログを読んでいますが、ほぼ毎日のように更新していた人のブログがある日突然、ピタリと停止して、そのまま1年2年、というものもよくお見かけします。皮肉なことに、わりとおもしろいブログを書く人にその傾向があるようです。ネタが尽きた、本業が忙し過ぎて更新出来ない、ブログに飽きた、はたまた生きてるのかそうでないのかに関係しているのか、それは不明ですが、様々な事情があるのでしょうか。

 さて、前述した通り、このブログもしばらく休止して、「本気で勝ち組になりたい!」と真剣に望んでいる方に、有益な名言、格言、日本や外国のことわざを紹介するなど、生きる力を与えてくれる、真の勝ち組になるための具体論などの情報も含めて、「勝ち組になりたいヤツは全力で俺について来い!」って感じのブログに仕立て直して、再開の予定です。また、いつか、皆さんとお会い出来る日が来ることを祈りつつ、それでは、皆さん、お世話になりました。
 「死んで花実が咲くものか」

 枯れた草木には花も咲かず、実もならないように、人間は死んでしまってはおしまいであり、生きていればこそ、良いこともある、ということわざ。「死んで花実は咲かぬ」「死んで花実がなるものか」ともいう。「命あっての物種」も同じ意味のことわざである。

 さて、大震災から4年が過ぎた。今日、3月11日が亡くなられた故人の命日、という方も多いのだろうか。

 津波で亡くなった方の無念さを想う度に、自分の今の苦労など、無いに等しいと、常々、私は自分自身に言い聞かせなければならないと思う。
「危機一髪」

 間に髪の毛一本しか挟む余地がないほどの、ごく近いところまで危険が迫っている状態。危ない瀬戸際。また、一本の髪の毛で千鈞の重さのものをつり上げるような、きわめて危険なことの例えにも言う。鈞は目方の単位で一鈞は三十斤、一斤は600グラム。このことわざの用例としては「危機一髪で救い出された」などの、大変な危険を乗り越えることの出来た場合の表現に使われる。よく「一髪」を「一発」と間違えている人がいるが、これはもちろん間違いである。

 それにしても、数日前の話だが、本当に私は危機一髪だった。寝過ごして出かける時間が少し遅れてしまった。クルマで出かけて、数分後のその道の途中、パトカーやら救急車やら停まっていて、何やら交通事故があったようだ。その時は大して気に止めず、その場を通り過ぎたが、数時間後、戻ってきた時、テレビ局や新聞社の人達が何やら写真や映像を撮影していて、ものものしい感じだった。どうやらただの事故ではなかったようだ。ローカルニュースの報道によると、事故現場は見通しの悪いカーブで、そこでバイクの男性が単独で転倒して、対向車線側に飛び出してしまい、更に運悪くそこに対向車線からクルマがやって来てしまった。そこはブラインドコーナーなので、クルマは普通のスピードで走っていたにもかかわらず、バイクの男性に気づくのが遅れてしまい、どうやらバイクの男性を轢いてしまったようだ。バイクの男性は残念ながら搬送先の病院で亡くなられたそうだ。もしもバイクの男性が転倒して対向車線に飛び出してしまっても、対向車線のクルマが来るのが20~30秒も遅ければ、助かっていたはずだ。道の真ん中に人が倒れていたら、昼間だから早く気づいてもらえたはずだ。しかし転倒して対向車線に飛び出したほんの数秒後にクルマが来てしまった。轢かれた方も轢いてしまった方も、もう本当にどうしようもないくらい運が悪く、不幸な出会い頭の事故だったようだ。


 だが冷静になって考えてみると、私は背中がゾッとした。というのも、その事故は私が本来の予定通り外出しようとしていた時間の、数分後が発生時刻だった。おそらく、私が時間通り家を出ていたら、かなりの確率で、バイクの男性を轢いていたかもしれない。あんな曲がった先の全く見えないカーブで、いきなり対向車線から人が飛び出して来たら、まず避けることも、急ブレーキをかけて完全に止まることも不可能に近い。もし外出が早かったら不可抗力とはいえ私も人の命を奪うことになっていたのだろうか。本当に人生とは危機一髪の部分があるということを思い知った。

 亡くなられたバイクの男性の名前を検索してみる。SNSをやっておられたようだ。バイク友達からの追悼や悲しみのコメントが書き込まれていた。ご家族の写真もあった。まだ3歳と1歳のお子さんを残しての早世は、さぞ無念だったであろう。残されたご家族の悲しみも想像に堪えない。

 それにしても世の中は納得出来ない事や、不条理の連続である。一刻も早くくたばって欲しい極悪人どもがのうのうと生をむさぼり、生きて頑張って欲しい人ほど早く旅立ってしまう。

 かつてノーベル賞作家アルベール・カミュは「人生とは不確実で不条理なものである」と看破したが、そのカミュもまた47歳の若さで交通事故で亡くなった。それこそ不条理そのものであったに違いない。

 そんなことを考えながらも、何ともやりきれない気持ちになった私であった。
 「君子危うきに近寄らず」

 徳の高い人は、常に身をつつしみ、危険なことには始めから近寄らない。災いを受けてから後悔するようなことはしないということ。

 とは言うものの、ジャーナリストの仕事は、危険な取材をしてナンボ、という側面もあるのも事実だ。テレビ局や新聞社の会社員記者では安全地帯からでしか取材出来ないが、フリーランスの記者なら危険地帯への潜入取材も可能になる。特にイスラム国のような秘密のヴェールに包まれた組織の取材に成功したら、その記事や写真、映像などは売り物になるし、本を書いて出版や、テレビなどの出演、インタビュー、講演会などマルチタレント的な活動も出来て、一般人の生涯収入を短期間で稼ぐことも可能である。アメリカ人やイギリス人などのジャーナリストがおびただしい人数が処刑されているにもかかわらず、取材に行く者が絶えないのは、彼らは「情報はカネ儲けになる」ことをよく知っているからだ。「君子危うきに近寄らず」も真実だが「虎穴に入らずんば虎子を得ず」もまた同時に真実である。この辺りのバランスの取り方が本当に人生の難しい部分でもあるところだ。

 ただ、有名なジャーナリストの本に書いてあったが、彼は危険地帯に取材に行く前に「自分がテロリストの人質になっても救出活動は一切しないで下さい」と一筆したためてから、いつも取材に行かれていたそうだ。相当な覚悟が必要である。

 ジャーナリストの仕事とは、カッコ良さそうにも見えるが、危険と隣り合わせの場合も多い。

 それにしてもイスラム国の一件は、完全に日本国民を敵にまわしてしまったような気がする。

 危険なのは彼らのような原理主義者であり、ほとんど大半のイスラム教徒は穏健派なのだ。

 おそらくイスラム国の狙いは、この一件で日本におけるイスラム教徒へのイヤガラセが発生する、そこから穏健派のイスラム教徒からも危険な原理主義者への支持が発生する、などの意図があるのだろう。2001年の同時多発テロ以降のアメリカ国内がそんな感じだった。

 そうした挑発にうかうかと乗らない事が重要だと思うが、皆さんは、どうお考えでしょうか。
 「光陰矢の如し(こういんやのごとし)」

 このことわざの「光」は日、「陰」は月の意味で、月日の過ぎるのは矢が飛ぶように早い、月日がたつのが早いことの例えである。また、いったん過ぎ去ってしまった月日は、飛び去った矢が戻ってこないのと同じで、再び戻ってはこない。「光陰人を待たず」と同じ意味のことわざである。

 それにしても、本当に月日がたつのが早い。あっという間に2015年である。

 歳月は人の意思とは関わりなく、刻々と流れるように過ぎ去って行く。だからこそ、時間を大切にしなければならない。

 頭では、もちろんそんなことはわかっているつもりだった。

 しかし私個人は、昨年はいろいろやり残した事が、あまりにも多すぎた。昨年の悔いや失敗を新しい力にして、年初にあたって、今回はこのことわざを、自分への戒めとしたい。
「国家は、あらゆる立派な職業からはじき出されたクズによって統治されている」

 フランスの作家、ジョルジュ・デュアメル(1884~1966)の格言である。

 もはや、この格言の説明はいらないだろう。汚職政治家ですら、トップ当選とは、もう言葉も出てこない。

 さて、今後の日本の見通しだが、この前のブログでも書いたが、アベノミクスで景気回復、というのは真っ赤な大ウソである。断言するが、あんな幼稚な政策で景気回復など、できる訳がない。国家の統治機構を変える位のドラスティックな改革をしないと、景気後退は止まらない。このままだと、ドンドン税金は上がり、ガンガン絞り取られて、マトモな子育てや医療などの社会福祉サービスは下がるだけの「重負担・低福祉社会」になるだけだ。

 本当にそんな国って、幸せなのだろうか。

 それと、投票率があまりにも低すぎる。選挙に行かなかった人、そんなに皆さん忙しいのだろうか。皆さんよりも忙しい人だってちゃんと選挙に行ってるのに。

 今日聞いていたが、日曜日の夕方、歌手の福山雅治さんがやっているラジオ番組で、福山さんが「選挙にはみんな行こうよ。選挙にも行かないで、政治に文句を言うのはカッコ悪いし卑怯だから」とおっしゃっていたが、これもなかなかの格言だと思う。彼だって、ライブツアーの真っ最中で、ハードスケジュールなのにもかかわらず、と感心した。

 今日生まれた赤ん坊ですら、いきなり数千万円の借金を背負わされるのが、今の日本なんだけれど、本当にそんな国って幸せなのだろうか。

 公園では、子ども達が、寒空の下、遊んでいる。あの子達が私くらいの年齢になる頃、日本はどんな国になっているのだろう。

 給料の半分は税金に取られて、消費税も30パーセント、社会保障もほとんどゼロ。病院に行きたくても行けない。そんな感じの国になっているのか。

 選挙に行かなかった人って、子ども達の将来とか、一切興味無い人達なんだろうか。

 選挙の結果は仕方ないにしても、投票率の低さに、久方ぶりに、全身の血液が煮えたぎるような、義憤というか、怒りを覚えた私であった。
 「投票は弾丸よりも強い」

 アメリカの第16代大統領リンカーン(1809~1865)の名言です。

 自由に選挙できる国民は、自分の意思を選挙で表明できる。つまり、ひどい政権は、選挙によって排除できるんだ、と説いた言葉ですね。

 さて、師走の忙しい時期に、大迷惑な衆議院選挙です。

 「忙しいから行かない」という方もいるかもしれないが、かなりもったいない話です。

 日本人は知らないが、世界には独裁者の国が、まだまだ、たくさんあり、選挙に行きたくても、行けない国民も、いっぱいいるんです。

 選挙権があっても、男だけで、女には無い、というフザケた国も多くて、ホント、ヒドイ話ですが。

 だからせめて、日本にいるのなら、選挙くらいは、行ったほうがいいのです。

 そもそもあなた達の本当の敵は、日本政府なんですよ。勝手にどんどん税金を上げて、子どもからも、あなた方の財布からも、好き放題にガッポリとカネを盗む強盗のような存在なんですよ、アイツらは。鬼とか悪魔に等しいんです。もう、ハッキリ言って人間じゃない。

 それでいて、肝心の国民へのサービスは下がる一方です。

 この前、近所の公立学校の学園祭にいくつか行きましたが、ガクゼンとしました。校舎や設備がもうボッロボロ!それと図書館とかの公共施設もボロボロだし。それでいて役場はまだ使えるのに、ピカピカに建て直してやがる!トホホ・・・

 知ってますか。

 政治家や官僚どもが作った借金は、1000兆円以上もあるんです。

 「借金を作ったのは政治家や官僚どもで、私は関係ない」「消費税って子育てや医療に当てられるんでしょ?」と思っている人もいるでしょう。

 もう、そう言う人は、だまされてますねえ。

 消費税を子育てや医療などの社会保証に当てる、というのは、ありゃ真っ赤な大嘘で、実際は、皆さんの毎日の生活費から、わからないよーに、少しずつ少しずつ、カネをかすめ取り、借金の返済に当てられるのです。
 さっきも言ったように、子ども達も選挙権の無い未成年者も含めて、無能なオジサン達がたんまりムダづかいして作ってくれた借金のツケを、死ぬまで払わされていくのです。今の若い人や、皆さんの子どもさんたちは年金の受給は、ほぼゼロになる時代がこのままだと、確実に来ます。

 税金関係は今後、上がることはあっても、下がることは無いのです。

 それがどんなにひどいことか、わからないんでしょうかねえ。

 だからよくよく、自分の選挙区の候補者のことをネット検索でもして、少しでもマトモそうな人を選んで、投票してみてはいかがでしょうか。

 「もう、どーしてもマトモそうな候補者が見つからん」「選挙に行っても、投票したい政党や候補者がいない」という方は、心配いりません。

 投票用紙に、候補者の名前を、書かなければならない義務はないんです。

 だから、たまには選挙に行って、好きなことを書けばいいんです。

 無効票になってしまうけど「総理大臣のバカヤロウ!」「もっとマトモな政党を作れ!」「子どもからも税金ふんだくるな!」と書かれた投票用紙が100万票ありました、ということにでもなれば、大ニュースにもなり、少しは世の中も変わるのかもしれませんぞ?

 衆議院選挙だけは、とにかく行って、怒りの一票を叩きつけてきましょう。

 「投票は弾丸よりも強い」のですから。
「クルマには、夢がある」

 これは自動車評論家の徳大寺有恒さん(1939~2014)の名言だ。

 カー・ガイ(クルマ大好き人間)として国産車、外国車を問わず、かたっぱしから試乗して「間違いだらけのクルマ選び」シリーズを、30年以上に渡って執筆してきた彼の業績は本当に素晴らしかったと思う。クルマを買う時に、彼の本にだいぶお世話になった方も多いはずだ。私を含めて。

 「クルマとは、税金が税金を燃やして走るものである」

 これも徳大寺さんの名言だ。クルマ本体、ガソリン、高速道路、車検、ありとあらゆるクルマ関係から、税金を搾り取る日本政府のやり方を言い表した、彼らしい名言だ。他国ならきっと暴動や革命が起きても不思議ではないくらいである。

 彼こそ本物のカー・ガイ(クルマ大好き人間)だったと思う。しかし最後のカー・ガイではない。なぜなら我々がその魂を引き継ぐからである。

 「間違いだらけ」シリーズは貪るように読みました。ありがとう徳さん、安らかにお眠りください。
「猫は虎の心を知らず」

 姿形は似ていても、猫には虎の心がわからないという意から、小人物は大人物が何を考えているか理解することは出来ないという例え。「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と同じ意味である。

 昨日、ラジオを聞いていたら、芸能人のダンスレッスンなどをされている方が出演されていて「今後の目標は」と聞かれて「自分の最終目標は、世界中の人々にダンスの喜びを知ってもらって、それで世界平和をもたらすことだ」とおっしゃっていた。(番組内での直接の言及は無かったが、私の想像するに、この先生としては、今現在、深刻な戦争状態にあるシリアやソマリアのような国々の人々も、武器を捨てて、みんなでインターネット動画で有名な「インドダンス」みたいなものを踊りましょう、という感じだろうか。間違ってたら申し訳ないが)

 本当に、素晴らしい「志」だと感心した。

 やはり、人は生きている限り、何かしらの「大きな目標」や「志」を持たなければならないと思う。そしてそれは唯一、自分自身が一番「好きなもの」から生まれるのかもしれない。

 ただ、やはり難しいのは、自分が「何を」「どれだけ」好きなのかを見極める作業だろう。何事も中途半端に「好き」な程度では長続きしないものだ。(思い当たるものがいっぱいあるなあ)

 さて、私自身も、もう一度、自分の志の大きさを考え直してみようか。
「大は小を兼ねる」

 大きな物は小さな物の役目も果たす事ができるが、小さな物は大きな物の代用にはならない。小さすぎるよりは、大きすぎるほうが使い道があることをいう。「大は小を叶(かな)える」ともいう。元々は中国の「春秋繁露度制(しゅんじゅうはんろどせい)」という古典からのことわざである。


 さて「アイスバケツチャレンジ」だが、私もいくつか見たが、映像作品の好きな人間から言わせてもらうと、日本人の、5リットル位の手提げバケツの氷水をチョロリとかぶってオシマイ、というのは、あまり面白くなかった。

 正しいやり方(?)は、外国のスポーツ選手がやっていたような、レストランのキッチンなどによくある、50リットル位の業務用ポリバケツを、何杯もぶっかけあうようなやり方である。見ていて迫力があるのは断然こっちだろう。

 「アイスバケツチャレンジ」に関しては、どうせやるなら「大は小を兼ねる」方式の外国のやり方に軍配が挙がるだろうか。

 ただまあ、日本人のは、多分、水垢離(みずごり)の風習があったから、ああいう感じで、粛々と水を被る、という様になったのかもしれない。

 「アイスバケツチャレンジ」はいかにも、一部の下等で身勝手なアングロサクソンどもが考えたレベルの低い、他愛も無いおふざけだが、そんなものでもヤル気、本気を100パーセント全開で大型の業務用ポリバケツを使う外国人と、小さな物を愛でる習慣のある日本人は、水垢離方式に小さな手提げバケツを使うという、彼我の発想力の差を痛感したのは私だけだろうか。

 それにしても、いい加減、日本人もそろそろ、アメリカやアングロサクソン発のものをありがたがる、舶来品崇拝主義をやめたらいかがか。あんな、アイスバケツチャレンジのような、寄付を無理強いするやり方は、昔からアメリカによくある、一種の振り込めナントカみたいなものだ。ま、これに狙われるのは、有名人の有名税みたいなものかもしれないが。

 どうやらあの団体は、今回のアイスバケツチャレンジのチャリティーイベントで、ガッポリ億単位のカネを集めたらしいが、胴元はえらく儲かっただろう。

 正体不明の自称慈善団体から、いきなり不幸の手紙方式で「寄付しろ!さもなくば氷水を被れ!」と指名されてヘラヘラ笑いながらそれに応じるのか、それとも「私は、よくわからない団体にはすぐには寄付しない方針です。こちらであなた方の団体が公平かつ公正で、透明性のある組織かどうかを調査、確認して、その上で判断させて頂きます。」とハッキリ言えるのか、賢明なあなたなら、どちらが正しいか、一目瞭然だろう。

 そういえば私も、19年前の阪神淡路大震災の時、自称慈善団体、その正体は詐欺団体にダマされて、金額は言えないが、寄付金をガッポリ持っていかれた事を思い出すなあ・・・。