少し時間が経ちましたが、3月11日たたらフォーラムに参加してきました。

伯耆国たたら顕彰会主催で、鳥取県の日南町で開催されました。

 

 

鳥取藩のたたら関連の資料(控帳など)は1万5千点あり、長いものでは千ページに及ぶそうです。これは全国的に見ても多いものだそうですが、江戸時代の初めの頃はまだ記録があいまいで、大庄屋などは不明なのだそうです。

 

鳥取藩はたたらに関して、鉄山を班の取り扱いにした事が有りましたが、官から民へまかせるようになり、班はなるべく介入しない様になったとの事。

故にか、鳥取では誰でも鉄山師(たたらの経営者)になる事が出来たそう。

その分、大きな鉄山師は資料が残っていたり分かるけど、小さな鉄山師は数も多く実態は分かっていないようです。

 

お隣の松江藩などはきっちりかっちり藩が介入していて、たたら御三家(田部家・櫻井家・絲原家)がほぼ占めていたようです。

 

鳥取で有名なのは幕末から明治期に栄えた近藤家かと思います。

小説「TATATRA」に出てくる鉄山師のモデルかな?

前に書いた記事のリンクを貼っておこう…

https://ameblo.jp/pashokon/entry-11079745276.html

 

今回の公演では、鳥取藩の家老日誌と、近藤家と同じ頃に栄えた、西木下家の文書を取り扱っていました。

大元の木下家があり、そこから分家が二つ、さらにそこから二つ、計5つと大きな家だったようです。

木下家の屋号が松田屋。松田屋から東松田屋、小松田屋が派生し、小松田屋から中松田屋、西松田屋が出て来て、西松田屋=西木下家だとか。む、むずかしい…?

↑の各松田屋も、全部同時期ではなく、各家の全盛期は移り変わって行きました。

 

大元の松田屋は地主へと成長していき、たたら持ち主になったようです。

たたら持ち主とは、実質的な経営者である鉄山師ではなく、貸主(オーナー?)の事で、

直接的な運営から間接的な運営に変化していって、鉄山師の金融的な手助けもしていたとか。

一族経営と言うか、多分、町(村?)に無くてはならない家だったんだろうなと思います。

 

木下家に限った話ではないけど、鉄で利益を生み出すのは流通、だそうです。

いかにマージンを取られず、高く売るか。

資料は少ないけど、そういった視点での研究も課題だそう。

大宮(印賀)の段塚と言う家は、鉄の輸送問屋で発展して、1代で名字帯刀が許されるくらいになったらしい。いいなあ。

 

 

その研究報告とは別に、日南・砺波地域のたたらの発掘調査報告が有りました。

明治時代に中国地方のたたらを調査していた俵國一博士の調査内容も絡めつつ…

 

個人的に面白いと思ったのは、鉧押しによるたたら操業時の砂鉄の使い分け。

 

段階によって赤目と真砂を使い分けるのだそう。チタンの量を調整するらしい。

数値的な事は難しくて良く分からないけど。

この辺りは色々な種類の砂鉄が採れて、使い分けやすい=操業しやすい、ということだったらしい。

 

それと、切羽の跡。

切羽は鉄穴流しで切り崩した採掘場の事。

その切羽の後は今でも残っていて、木が生えていないそう。

地図で見ても、等高線の幅が広くて一目瞭然でした。

地図で分かる鉄穴流し跡…がとても面白いと思った。

 

また、その採集地によっても砂鉄の成分が違っていて(砂鉄の選鉱の仕方にもよる?)

先程書いた、色々な種類の砂鉄が採れて操業しやすい、と言う所に繋がりました。

 

↑に書いた話は、私の思い違いも多分にあると思いますので話半分、くらいにして置いて下さいませ。

 

 

 

さて、奥出雲から移動しまして日南町に向かいます。

途中、カーナビの地図で気になる表記を見つけました。

「東楽々福神社」「西楽々福神社」

しかもお互い、日野川を挟んだすぐ近くにありそう。

楽楽福(ささふく)神社というのは機会が有れば行きたいと思っていた神社ですが、関連が有るのかなと、目的地とは反対方向でしたがお参りに行こうと向かいました。

 

後で知りましたが、東楽々福神社は実は私が気になっていた楽楽福神社で、

正式には樂樂福神社と書くようです。

 

偶然にも私の前の車と後ろの車もこちらにお参りで、

一気に狭い駐車スぺースが埋まりました。

 

そしてちょっと軽い気持ちで行ったのですが、着いてから

階段 階段 また階段…

まさかこんなに上るとは…ゼーハーいいながら何とか付きました。

 

 

門には大きな杉玉が!何だかとても御めでたい感じが素敵だ…。

そしてこの門の中には数体の御像がありましたが、

木で出来た小さな狛犬が…

気にはなっていたけどちゃんと調べた事が無かったんですが、

こちらも相当古い神社なのか…ドキドキワクワクしてきた。

 

ちょうど写真には写っていませんが、お賽銭を入れると

賽銭箱の前に居た小さな獅子舞が踊り始めました。た、楽しい!

 

神紋は楽の様ですね。

はっ!

だから楽しい獅子舞が置いてあるのか!(違うとおもう)

 

拝殿にも杉玉がありました。

 

 

御昼過ぎにお参りしたのですが、

この光差す感じがたまらなくたまらない!(日本語が崩壊…)

 

こちらも本殿の屋根が新しい雰囲気でした。

光が当たって、赤く見えてとても綺麗……!

 

すごくすごく気になりつつも、遅刻しそうだったので本来の目的地へ向かいました。

 

日南町を去る前に道の駅に寄りましたが、

そこでふらっと入った情報コーナーにいたガイドの方と40分近く話し込んでしまいました。

日南町はもちろん周囲やそれ以外にもいろいろ知識のある方でとても面白かったです。

そこでこの樂樂福神社の話題も上がったので、「お昼に東樂樂福神社と言う所にお参りしてきました」と話すとそこが樂樂福神社で、御祭神が第七代孝霊天皇だと教えて頂きました。

 

そ、それは古い…とても古いんだろうな…

創建の年代ははっきりしないようですが、千年は超えているらしい。

 

その方によると、西樂樂福神社は孝霊天皇の皇后が祀られていた神社だそうです。

神社のサイトを見ると、今はどうやら東と西はひとつになっているようですが。

 

で、樂樂福神社という名前の由来が二つ。

一つは孝霊天皇の幼名が笹福(ささふく)だったことから。

これは初耳でした。

実は私がこの神社が気になっていた理由がもう一つの由来。

「砂鉄吹く」つまり、たたらが由来になっているという事。

 

この辺りの神社は福とか金とかが付いた御めでたい名前が多いのですが、

鉄の生産が盛んだった事が関係しているのではないかと言われています。

いつかめぐってみたいと思っていましたが、今回こちらにお参りしてますます

めぐってみたくなりました。

 

 

横田八幡宮

 

その名の通り横田に有りました。

こちらは稲田神社で教えて頂いた宮司さんがいらっしゃるという御宮です。

御挨拶にお参りさせていただきました。

 

 

特に由緒書きなどが見つけられなかったのですが

八幡さまなのだろうなと。

御鎮座700年と有りました。鎌倉の頃の様です。

こちらに来るまで道案内的なものは特に無く、ひっそりとしたところかな?

と思っていましたがとても由緒ある御宮なのでは…

 

拝殿。やはり〆縄が立派です。

 

お隣にあったのは…良く分からなかったのですが

立派な御社…

上の方に葵?紋、屋根の下と賽銭箱は菊紋でした。

 

気になったのでこれまたネットで調べてみると、こちらは一宮神社と言って天照皇大神と須佐之男命が祀られているようです。

もともとここは一宮神社として有って、後に京都の石清水八幡宮の横田別宮が「横田八幡宮」として新たに一緒の境内に祀られた…らしき記載を見つけました。

と言う事は、横田八幡宮の前の横田別宮はもっと古いんだろうな…

一宮と言う名前と言い、とても気になってきました。

 

もしまた行く機会が有れば宮司さんに連絡を取って行くべきか…

奥出雲気になる所多すぎ。

稲田神社の境内…というか社務所内にお蕎麦屋さんが有ります。

 

「姫のそば ゆかり庵」と言うお店です。

外観写真を取るのを忘れました…。

 

こちらは「横田小そば」という、この横田地区で昔から作られていた品種を扱っているお店です。蕎麦の実も一般的なものより小ぶりでその分香りは高いけど、採れる量も少なく貴重な蕎麦の様です。

 

以前見たテレビ番組で、出雲のたたらに使う炭のために山を伐採し、その跡地に蕎麦が育てられるようになったというのを見て、この横田小そばがそれなのかなーと。

とても気になっていたお店です。

 

ちゅうもんしたのは言わずもがな

横田小そばの割子。

数量限定だそうですが、開店して間もないころに行ったのでさすがに有りました。

 

それと仁多米のおにぎり!

これも気になっておりましたー。

 

注文して待っている間に周りを見渡すと、

戴仁親王の御書など見つけたり…

 

外を見ると御社を見ながら食事できるんだー

とみていると像が3体。

稲田姫でしょうか?

 

こちらはスサノオノミコトかな?

 

そしてカエルさん。

 

なごみます。

 

 

 

まだお客さんも少なかったので割と早く出てきました。

 

仁多米のおにぎりはおいしかったです。

もしかしたら横田小そばと一緒じゃない方がより味を感じれて良かったのかしら?とは思ったけど…。

 

横田小そばは確かに香りが強い。

普段蕎麦を食べていて、香りを楽しむと言う事があまり出来ないのですが(鼻が悪いせいだろうか…)、こちらはつゆが無くても食べれてしまう感じのおいしさでした。

逆にそば湯は、普段はつゆ入れた方がおいしく感じますが、これはそのままぐいぐい飲みました。

何か不思議。

後、歯ごたえがかなりしっかりしていました。もぐもぐ。

 

 

後からメニューを見ると、信濃蕎麦との食べ比べメニューもあったので、そっちにすればよかったーと思うも後の祭り。

でもまあ、美味しかったので満足です。

次回は別のお蕎麦に挑戦したいなー。

 

食べ終わる頃には続々とお客さんがやってきたので、やはり人気のお店の様です。

県外の人が多いのかも?

数量限定のメニューは前日まで電話でお取り置きも出来るようです。

 

 

奥出雲で次に向かったのは稲田神社です。

伊賀多氣神社はヤマタノオロチ伝説で助けた側ですが、

稲田姫は助けられた側ですね。

 

 

稲田姫(イナタヒメ)誕生の地であり、祀られているのも稲田姫です。

境内に誕生地の碑が有りました。

神社の近くには産湯の池なども有ったようなのですが、気付かずスルーしてしまいました。

 

こちらは、江戸時代に建てられた稲田姫の祠を昭和初期に社殿を新たに築いて神社となったようです。地元の人に愛されているんでしょうね。

 

 

御社の周りには掛かれた雪がまだ残っていました。

 

そして神紋?が、なんと「姫」!

かわいいです…

 

 

こちらの神社の社務所は蕎麦屋さんにもなっていてお邪魔しました。

御朱印を頂けないかと思って聞いてみたところ、現在宮司さんはこちらにはおられず、

兼任している別のお宮の近くに住まわれているとの事でした。

90歳を超えていて日中はお休みなことが多いので、お声掛けして、いらっしゃたら書いて頂けるかも…でも起きていらっしゃるのは夕方の5時半とかかも…お声掛けは大きい声が良いかも…

と言うアドバイスを頂き、場所まで教えて頂けたのでダメもとで伺ってみました。

しかしお昼過ぎということもあり、残念ながらお返事は有りませんでした。

次回伺える事があれば周りもじっくり散策して、夕方目指してみようかと思った次第です。