原子力爆弾でお亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
広島と長崎の原子力爆弾の投下は、日本(軍)政府がポツダム宣言を黙殺(ignore)したことが直接の契機となったそうだ。
これを通訳が、却下(あるいは拒絶)(reject)と英訳したため、黙殺の真意が通じず、怒りに火を注いだ云々、との説もあるが、黙殺の言葉の後は、断固戦争完遂に邁進する、 と結ばれているのだから、アメリカにすれば、この際の言葉の違いは大した問題ではなかったろう。
もうやめよう、という申出を黙殺した。
だから、死ななくてもいい膨大な数の市民がむごたらしく死に、生き残った人々は病苦にさいなまれ、あろうことか自国民に差別された。原子力爆弾の被害認定を拒絶された方も多くいる。
そういう日と歴史だったと刻み、過ちを二度と繰り返さないよう、一市民として誓いたい。
その記念日の少し前の日だった。
国際機関が調査に訪れ、調査を終え、自分たちの見解を述べた。
彼らは、いくつかの事案について調べ、また服部吉次さんをはずかしめたことに端を発する重罪人の行状も調べたそうだ。
その最後、毅然とした声音で糾弾は始まった。
糾弾は、重罪人本人のみならず、これを見逃した重罪人の設立した組織の不作為と、報道機関のもみ消し加担と、行政の無策に及んだ。
重罪人であったにも関わらず、その科(とが)を受けることなく死んだ、小児〇愛(〇は心辺に生きると書く字)者による犯罪が行われたことは、最高裁において事実認定されている。
当時の報道機関の多くは、この裁判を黙殺した。
そして、重罪は積み重ねられた。
生涯にわたる重罪人の犯行を数えれば、おびただしい回数と人数になるとの見通しを、先日見聴きした。
その被害者の内、数名の方が自分の被害について詳細を公表し、再発防止と救済を希望された。
だが、これを報じたテレビ局はほとんど無かった。
黙殺はなおも続いている。
報道機関の沈黙は拒絶に等しい。
情報伝達に当たり、middle(media) の意味通りの仲介をしない、という意味において。
報道機関は、被害者の声を黙殺することで拒絶した。少なくとも報じることを拒んだ。
原子力爆弾を投下され、過ちは繰り返すまいと刻んだ国民の末裔は、またも黙殺の過ちを、組織内でも、報道の現場でも、行政でも繰り返している。
祖先にあわせる顔がないではないか。
国連には、是非、お願いしたい。
国際社会における名誉ある地位を占めたいと、憲法前文で謳っているにもかかわらず、労働市場における奴隷制が残置され、〇搾取(〇は心辺に生きると書く字)が放置されている日本は、国際連合の理事国などはもってのほかなので、現在の地位を相応なところにまで引き下げる、という爆弾的処遇を、是非、投下いただきたいと願う。
かの憲法前文を黙殺し、拒絶してほしい。
黙殺と拒絶の痛みを身をもって味わい、国際社会での評価が堕ちるのを見れば、行政や報道機関は無論、財界人なども、すわ一大事とばかり手の平を返して騒ぎ始めるに違いないから。
その時には、重罪人の作った組織からの要望や嘆願など、黙殺し拒絶するに違いないから。