今日、お昼過ぎ、お客様のオフィスで、昼までに終えられたはずの仕事の目途が、少し遅れつつも立った時だった。最後、更新ソフトをインストールした。が、肝心のソフトの動作が安定しない。
アンインストールとリインストールをしても解決しない。PCの問題のようだ。
昼食をとらずにこのトラブルに対応することにした。午後の仕事は諦めることにして、久々のパソコン屋稼業だ。
と、面前のPCは忙しく働いているが、手待ち時間がふと訪れた。職員の食後の歓談の声が遠く聞こえる。間隙をついて、この記事の下書きを書いた。
多忙を理由にしたくないが、長く書けずににいた。年度変わりの辺りからずっと多忙に過ごしている。
こんな時代に、オファーがひきも切らないのは、本当にありがたい。
先々月の半ばより次女が僕の事務所の職員となった。もし彼女がいなかったらと思うとぞっとする。入力業務が片付いていることがとても有難い。健康を、とりわけ心的なそれを損ねずに済んでいる。
事業主に労働法規は関係ないが、今年の残業時間を仮に算定すると、毎月、過労死ラインを超えている。
自分でこの状況を作り出して働いているから、文句は無い。不平もない。出来なければ、その仕事を失うだけである。命に別状は、もちろん、無い。
とにかく、必要とされることをよろこんでいる。
よく武勇伝のように、かつてそれ相当の過重労働を経たことを語り、長時間労働で健康を損ねる方々に批判的な意見をする人がいるが、自ら望んで飛び込むことと、無理やりやらされることの違いに思いをいたしてほしい。経験上、こういう人は、ことに経営者に多い。
「俺はもっと働いた」というのは、当を得ない。「働かされた」経験ではないから。
その当を得ない経営者が多いことを思うと、チャップリンの「モダンタイムス」は、その先見性も含めて、やっぱり普遍を獲得した芸術作品だと、今更ながら思う。
閑話休題。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
少し前の記事でも引いた朔太郎先生の、この「旅上」は、数少ない愛唱する詩だ。何故か、すんなりと憶えられたからである。
先生は、お金と時間があれば、必ずや彼の地に行っただろう。どちらかが、或いはどちらも無かったか。
そして、当時、朔太郎先生はきっと忙しかったに違いないと思う。
多忙は、倦怠と同じくらいに、旅の動機になる。現実逃避というか息を抜くのに、現在地を離れたくなる。
ヒロコさんの誕生月の七月に旅行できればと、五月ごろから思っていた。
波のフーガの聞こえる宿、星降る夜に散策できる郷、もやのたゆたう早朝の草原、湧き水の冷たい雑木林。
自然の中、ゆっくりできる所。だから、移動時間の短い所ならいずこでも。
お金は、近い分不足ないだろうが、あいにく、二人とも時間が無かった。
せめて。
3月に買ったチャップリンの「街の灯り」を今月中に見られたら、とても嬉しい。
アンインストールとリインストールをしても解決しない。PCの問題のようだ。
昼食をとらずにこのトラブルに対応することにした。午後の仕事は諦めることにして、久々のパソコン屋稼業だ。
と、面前のPCは忙しく働いているが、手待ち時間がふと訪れた。職員の食後の歓談の声が遠く聞こえる。間隙をついて、この記事の下書きを書いた。
多忙を理由にしたくないが、長く書けずににいた。年度変わりの辺りからずっと多忙に過ごしている。
こんな時代に、オファーがひきも切らないのは、本当にありがたい。
先々月の半ばより次女が僕の事務所の職員となった。もし彼女がいなかったらと思うとぞっとする。入力業務が片付いていることがとても有難い。健康を、とりわけ心的なそれを損ねずに済んでいる。
事業主に労働法規は関係ないが、今年の残業時間を仮に算定すると、毎月、過労死ラインを超えている。
自分でこの状況を作り出して働いているから、文句は無い。不平もない。出来なければ、その仕事を失うだけである。命に別状は、もちろん、無い。
とにかく、必要とされることをよろこんでいる。
よく武勇伝のように、かつてそれ相当の過重労働を経たことを語り、長時間労働で健康を損ねる方々に批判的な意見をする人がいるが、自ら望んで飛び込むことと、無理やりやらされることの違いに思いをいたしてほしい。経験上、こういう人は、ことに経営者に多い。
「俺はもっと働いた」というのは、当を得ない。「働かされた」経験ではないから。
その当を得ない経営者が多いことを思うと、チャップリンの「モダンタイムス」は、その先見性も含めて、やっぱり普遍を獲得した芸術作品だと、今更ながら思う。
閑話休題。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
少し前の記事でも引いた朔太郎先生の、この「旅上」は、数少ない愛唱する詩だ。何故か、すんなりと憶えられたからである。
先生は、お金と時間があれば、必ずや彼の地に行っただろう。どちらかが、或いはどちらも無かったか。
そして、当時、朔太郎先生はきっと忙しかったに違いないと思う。
多忙は、倦怠と同じくらいに、旅の動機になる。現実逃避というか息を抜くのに、現在地を離れたくなる。
ヒロコさんの誕生月の七月に旅行できればと、五月ごろから思っていた。
波のフーガの聞こえる宿、星降る夜に散策できる郷、もやのたゆたう早朝の草原、湧き水の冷たい雑木林。
自然の中、ゆっくりできる所。だから、移動時間の短い所ならいずこでも。
お金は、近い分不足ないだろうが、あいにく、二人とも時間が無かった。
せめて。
3月に買ったチャップリンの「街の灯り」を今月中に見られたら、とても嬉しい。