先ほどの記事の続きというか、おまけを最後に。虹を見た後、猿に遊んでもらいに行った。車で15分ばかりで着いた。

子ざるは紐が大好きだそうだ。
手に載る時、いちいち座り心地というかお尻の収まり具合を確かめる。
屋根の下にはクジャクが暮らす。
野生のサル200頭のBグループと、300頭のAグループがあるそうだが、僕らはBグループと会えた。気楽に暮らしているようだが、お話を聞くとそうでもなく、群れの厳格なルールの下、虐げられる者も少なくないとのこと。
例えば、お猿のショーに出ているミミちゃんは、幼くして母親を亡くしたため人間が育てることになったのだが、普通はそのまま死ぬのだそう。
母親の死因は不明だが、争いを勝ち残ったそういう時期の雄の要求を好みではないからと拒んだりすると、噛まれたりして暴行されるのだが、その傷が癒えず、じわじわと致命傷になることもままあるとのこと。
著名なゴリラ博士にして京大総長に就任された山際教授が、現在の日本社会をして、「サル化」していると指摘されている。ゴリラ社会では、そのルールが柔軟だが、サル社会ではルールは厳格で、例外が無い。
現在の日本の不寛容な個人社会を指して上記の如く述べておられるが、その痛烈な指弾は当を得ている。
日本の太古のアニミズムは、自然崇拝という意味で、自分たちを、ある意味下等におく謙虚さに充ちた態度だったと思う。サルに遊んでもらいながら、改めてそう思った。
シェークスピアも、リチャード三世に、辛辣に言わしめている。劇の冒頭だ。
アン女王が「いかな獣と言えど、憐みを知らぬものではない(拙訳)」(No beast so fierce but knows some touch of pity.)
と罵ったのに応えて、リチャード三世は
「だが、余は全く憐みを知らぬわ。それ故、余は獣では無いわけだ(拙訳)」(But I know none, and therefore am no beast.)
人は獣以下の生き物だと、僕は自戒を込めて、自らに打ちこまれたくさびを見つつ、思う。

子ざるは紐が大好きだそうだ。

手に載る時、いちいち座り心地というかお尻の収まり具合を確かめる。

屋根の下にはクジャクが暮らす。

野生のサル200頭のBグループと、300頭のAグループがあるそうだが、僕らはBグループと会えた。気楽に暮らしているようだが、お話を聞くとそうでもなく、群れの厳格なルールの下、虐げられる者も少なくないとのこと。
例えば、お猿のショーに出ているミミちゃんは、幼くして母親を亡くしたため人間が育てることになったのだが、普通はそのまま死ぬのだそう。
母親の死因は不明だが、争いを勝ち残ったそういう時期の雄の要求を好みではないからと拒んだりすると、噛まれたりして暴行されるのだが、その傷が癒えず、じわじわと致命傷になることもままあるとのこと。
著名なゴリラ博士にして京大総長に就任された山際教授が、現在の日本社会をして、「サル化」していると指摘されている。ゴリラ社会では、そのルールが柔軟だが、サル社会ではルールは厳格で、例外が無い。
現在の日本の不寛容な個人社会を指して上記の如く述べておられるが、その痛烈な指弾は当を得ている。
日本の太古のアニミズムは、自然崇拝という意味で、自分たちを、ある意味下等におく謙虚さに充ちた態度だったと思う。サルに遊んでもらいながら、改めてそう思った。
シェークスピアも、リチャード三世に、辛辣に言わしめている。劇の冒頭だ。
アン女王が「いかな獣と言えど、憐みを知らぬものではない(拙訳)」(No beast so fierce but knows some touch of pity.)
と罵ったのに応えて、リチャード三世は
「だが、余は全く憐みを知らぬわ。それ故、余は獣では無いわけだ(拙訳)」(But I know none, and therefore am no beast.)
人は獣以下の生き物だと、僕は自戒を込めて、自らに打ちこまれたくさびを見つつ、思う。