涼風
献上できれば、と存じます。
暑中お見舞い申し上げます。

としたため、梅雨も明けていないのに、顧客の皆様に、葉書を送ったのは、15日と16日に旅に出るからである。二日間仕事を休むと、添えた。
台風が直撃するという予報であるが、予約しているので、出かけることにした。ホテル缶詰ならそれもまた一興、楽しんでやろうと思った。

道中後半、デジタルカメラが突然故障したので、SDカードにある写真を取り込むべくリーダーを、今日明日にでも買う予定なので、どういう旅であったかは後日、ここに残したいと思う。

写真なしで記しておきたいことの一つは、16日の午後のことである。
「二十四の瞳」の著者 坪井栄さんの文学館を尋ねた。
この名作の中の台詞に、名誉の、戦死なんかするんじゃない、という様なものがあった。正確ではない。

国家は戦争を始めれば、必ず出る戦死者に名誉を与え、その死を喜べと遺族に強要する、そういうものである。
坪井さんは、大石先生を通してそう言っていると、思う。

坪井栄文学館を後にして、車のラジオを付けたら、愚法案可決のニュースと首相の会見での談話が飛び込んできた。

国民を守るためだという、非論理的なまやかしで、様々な事態において同盟関係にある戦争当時国の支援をするという法案を、馬鹿な内閣は可決に持ち込んだ。
非論理の一つをあげると、後方支援に赴く人々は、現内閣の解釈では、「国民」ではないとしなければならない。およそ国家が守ることのできない、死の近くに行けと命ずるのだから。

この法律が施行されれば、きっと、最初の犠牲者たる自衛隊員は、荘厳に厳格に、日の丸にくるまれた棺に眠り、総理の最敬礼で迎えられるのだろう。
そして、その次の犠牲者からは、卒業証書の「以下同文」扱いとなり、その内、葬送の儀式は手続きとなり、最後には形骸と化す。米国と同じように。
そんな名誉の死を望むものなど、命令を下した行政府の人間を除いて、何処にいるのか。

自分の子が戦争地域に行き、事態に対応し、支援という従軍をすることになれば、多くの母は、二十四の瞳の大石先生と同じ思いを大声で主張する。父は、せめて自分が代わってやれないものかと地団太を踏む。

前も同じような趣旨のことを記したが、自民党及び公明党の議員の子息は、率先して自衛隊に入隊してもらいたい。
知力も胆力も行動力も無いのに、親などの尊属の地盤と看板と鞄を引継がせて、無能な世襲議員を大量生産せずに、子の親どもは、子息を自衛隊へと導かれたい。

車から見える空以上に、不穏で不気味な邪悪な暗雲を見た様な思いがした。