京都の花街の一つ、上七軒に、ある芸妓さんが、自らの名を冠したバーを出した。
Kと僕は、それぞれ、彼女にバーテンダーとしてスカウトされ、出会い、親しくなった。
偶然、Kもギター弾きだった。男くさいロックな、いい音を出した。うまかった。

店では、自ら名乗らぬ客の、彼がキープしたボトルを、すっと前に置くのが当然だった。Kと二人、必死で名前とボトルを覚えた。一見さんお断りということは、ひっくり返せばこういうことなのだと知った。
だから、客は、多くは高慢だった。

Kは、酔客の横暴に遭遇した幼い僕の、その苛立ちが顔に出そうになると、「頭冷やして来い」と言って、タバコを握った拳をみぞおちにぐいと押し付け、よく僕を逃がしてくれた。
高校時代、楕円のボールを追い花園の土にまみれたKは、言葉と行動は荒っぽいのに、視野の広い、気配りの効く優しい男だった。
深夜に店を閉め、僕らは、時に朝までやっている喫茶店で話し込んだ。音楽のこと、店のこと、就職のこと、夢のこと、それぞれの恋人のこと、話題は尽きなかった。

なのに、さよならも言わないで、僕らはそれきりになった。
卒業を控えた冬に、僕はヒロコさんとの結婚を自分の両親に切り出し、説得を試み、揚句、卒業式の日に両親と決別した。
稚拙と、無力と、何も手に入れなかった大学生活を、僕は悔い嘆いた。
だから、Kだけじゃなく、誰にもさよならも言わないで、ギター以外のほとんどを捨てて、僕は逃げるように京都を出た。当時の日記に、「唾棄すべき四年間」という言葉を書き殴っている。

Kが僕を訪れたのは、ヒロコさんと結婚し、資格取得を終え、音楽を再開し録音を始めてしばらくした頃だった。突然、連絡が来て、数日後やって来た。関西に戻ったと言う。
Kは、語学力を生かし、在京のゼネコンに就職したが、離職して以後、職を転々としたらしい。多くを語らなかったし、僕は尋ねなかった。

彼は、数日、僕の家に来てはギターを弾いて一緒にセッションし、娘たちの相手をし、飲み、食い、語り、そして、或る日、自分が大切にしていたエレキギターを二本、いくつかのエフェクターの入ったケースと一緒に録音をしていた部屋にゴトリと置いた。
「俺、今、こいつを弾く機会も場所もない。しん、お前に預ける」
そう言って、笑った。
「おお」とか「へえ」とか言ったのだろうが、僕は、真意をはかりかねて、「わかった。近いうちい弾きに来いよ。一緒に録音しよな」と応えた。
Kは「俺はアコギがあるから」と応えにならないことを言い末尾を濁した。

それっきり、彼は連絡を絶ってしまった。携帯電話の番号は「現在使われていない」ことになり、携帯電話のメールは、当時まだなかった。それ以外の連絡先をKは教えなかった。
僕はその二本を調整に出した。ずっと時折弾いて、連絡を待ち続けた。
気がつけば十五年が過ぎていた。

先日、身辺整理をしようと決意した時、もう、Kを待つのを止めようと思い、彼のギターを手放そうと決めた。
先ず、かかりもしない携帯電話の登録を抹消した。そうしたら、むしょうに会いたくなった。
「でも、あいつが会いたないんやから、仕方無い」
と何度も心で言いながら、彼が高校の時から使っていた一本を処分した。ボロボロでどの楽器屋も引き取らないので、廃品処理屋に無料で引き取ってもらった。すっきりするはずが気持ちは晴れなかった。

晴れないまま考え続け、あのときあいつは、「お前が弾け」と言っていたのかもしれないと思った。
ならば、再会を待たないで、あいつが自慢していたもう一本を、一生「預って」弾けばいいんだと思った。気持ちが晴れた。

Kが預けたもう一本は、Fender Japanの初年度生産モデルで、ボディー裏のネックジョイントの金具にKの名がローマ字で刻印されている。発売開始記念に無料で彫ってくれたのだそうだ。

僕は、行きつけのショップで、こいつを自分好みに調整し直してもらい、ネックジョイントの金具の余白に、”& Shin” と刻印を追加してもらうことにした。
身辺整理ではなく心の整理をしていたのだと、僕はやっと気付いた。

(了)

これにて、回想終了でございます。
しつこく、ギターのことを、オタクよろしく、くどくど書いたものにお付き合いくださり、誠にありがとうございます。とりわけ、この最終項はだらだら長く、恐縮に存じます。
この分だと、想い出を日長一日しゃべっている様な老人にならないよう、しっかり気を付けないといけないなぁ、と思っている次第でございます。

しん 拝