ギターにまつわる回想録をまだ続ける。お付き合いをいただければ幸甚である。
ヤフーオークションで最初に手に入れたのは松岡という日本のメーカーの七十年代に作られたものだった。練習用に求めた。
この頃、僕はそれまでのギターのスタイルの全部を捨てて、新しいスタイルを作ろうとしていた。
このギターで、右手でやるボディヒットを先ず練習した。左利きの僕は、うまく力が抜けず苦しんだ。爪が何度も割れた。アロンアルファで固めているうちに、爪そのものを傷めた。
しぶとく続けていると、その内カラカラと望む音が出るようになり、速さと音量を変えられるようになり、爪を割ることが無くなった。
このギターは、そのボディヒット奏法のため、ライヴでも使われるようになった。
ヒロコさんと僕で始めた音楽は、僕にジャズ理論を教えた若手プロギタリストとその盟友の打楽器奏者を加え、その当時は、Pas d'âme(ぱ・だぁむ)という4人編成のバンドに変わっていた。
バンド編成に変わったことがスタイルを変えるきっかけだった。
松岡ギターは、弦高がすれすれに低く、テンションもゆるく弾きやすかった。だが、右手の人差し指と中指で高速で弾くピカードをするとそのやわなテンションが邪魔した。
そこで、再びオークションで物色した末に入手したのが、YAMAHA No.G-80。落札価額は五百円だった。
購入後、自分で調整してナットという部品のみ町の職人さんに依頼して作ってもらったのを載せた。
ボディーの前半分には、ヒットに耐えられるように保護シートを貼ってある。フラメンコ奏法をあれこれ練習したため傷だらけになった。普通のクラシックギターよりネックが8mm長く、テンションがきつい。これがピカードに役立った。左手の訓練にも役立った。
少しずつ、思うスタイルに近づき始めた。
昨年末のブログに載せたクリスマスソングの冒頭、フラメンコとボディーヒットを混ぜて弾いたのが、「異邦人」という曲の間奏ソロから印象的なリフまででだが、これが僕の考えていた新しいスタイルである。あのソロのフレーズは、この頃作り、弾けるようになったものである。(リンクはこちら)
使いこなし始めたギターによる新しいスタイルでバンドアンサンブルは変わる筈だった。それまでに松岡ギターで徐々に変わり始めていた。
ヒロコさんは、丁度ここで、歌うのを止めてしまった。愛犬が旅だったことが、きっかけだった。
No.G-80がこのバンドの舞台に上がることは無かった。
僕はこのギターも処分しようと思った。でも、新しいスタイルも捨ててしまう様な気がして捨てられなかった。
彼女が歌いたいと言いだしたときにすぐ奏でられるよう、こいつと待機することにした。
ならば、本当のフラメンコギターも加えて待機しよう。そう思い、オークションでキズものだと売られていたものを購入したのがAria A-100Fである。
いつまでなのか定かでない待機を、主にこの二本を友に、楽しく続けている。
ヤフーオークションで最初に手に入れたのは松岡という日本のメーカーの七十年代に作られたものだった。練習用に求めた。
この頃、僕はそれまでのギターのスタイルの全部を捨てて、新しいスタイルを作ろうとしていた。
このギターで、右手でやるボディヒットを先ず練習した。左利きの僕は、うまく力が抜けず苦しんだ。爪が何度も割れた。アロンアルファで固めているうちに、爪そのものを傷めた。
しぶとく続けていると、その内カラカラと望む音が出るようになり、速さと音量を変えられるようになり、爪を割ることが無くなった。
このギターは、そのボディヒット奏法のため、ライヴでも使われるようになった。
ヒロコさんと僕で始めた音楽は、僕にジャズ理論を教えた若手プロギタリストとその盟友の打楽器奏者を加え、その当時は、Pas d'âme(ぱ・だぁむ)という4人編成のバンドに変わっていた。
バンド編成に変わったことがスタイルを変えるきっかけだった。
松岡ギターは、弦高がすれすれに低く、テンションもゆるく弾きやすかった。だが、右手の人差し指と中指で高速で弾くピカードをするとそのやわなテンションが邪魔した。
そこで、再びオークションで物色した末に入手したのが、YAMAHA No.G-80。落札価額は五百円だった。

購入後、自分で調整してナットという部品のみ町の職人さんに依頼して作ってもらったのを載せた。
ボディーの前半分には、ヒットに耐えられるように保護シートを貼ってある。フラメンコ奏法をあれこれ練習したため傷だらけになった。普通のクラシックギターよりネックが8mm長く、テンションがきつい。これがピカードに役立った。左手の訓練にも役立った。
少しずつ、思うスタイルに近づき始めた。
昨年末のブログに載せたクリスマスソングの冒頭、フラメンコとボディーヒットを混ぜて弾いたのが、「異邦人」という曲の間奏ソロから印象的なリフまででだが、これが僕の考えていた新しいスタイルである。あのソロのフレーズは、この頃作り、弾けるようになったものである。(リンクはこちら)
使いこなし始めたギターによる新しいスタイルでバンドアンサンブルは変わる筈だった。それまでに松岡ギターで徐々に変わり始めていた。
ヒロコさんは、丁度ここで、歌うのを止めてしまった。愛犬が旅だったことが、きっかけだった。
No.G-80がこのバンドの舞台に上がることは無かった。
僕はこのギターも処分しようと思った。でも、新しいスタイルも捨ててしまう様な気がして捨てられなかった。
彼女が歌いたいと言いだしたときにすぐ奏でられるよう、こいつと待機することにした。
ならば、本当のフラメンコギターも加えて待機しよう。そう思い、オークションでキズものだと売られていたものを購入したのがAria A-100Fである。

いつまでなのか定かでない待機を、主にこの二本を友に、楽しく続けている。