妻は韓日半分ずつの血を持つ。

 私の両親は、他にもあれこれ理由を語っていたが、要はそれが故に私たちの婚姻に反対した。
 私の不用意な引き合わせで、母にその血をあからさまに忌避された妻を目の当たりにして、私は逡巡の果てに親子の絆を断ち、妻の籍に入った。二十七年前のことだ。

  その後、長患いの父が脳梗塞で倒れたと知り、二度ほど淡い期待を抱いて帰郷したが、遂に、父の動きの悪い口から婚姻と一連の行為を許す気はないと聞き、私は和解を断念した。やがて父は逝き、兄やいとこは、私に帰郷して葬儀に出るよう電話で迫った。私は妻に支えられてそれを断った。悲嘆する母を傍らに、兄は私たちの非道を厳しく責めた。十五年前のことである。

 四年前、今度は妻の父が鬼籍に入ったのを潮に、妻は一切を水に流した。その翌年、かつて、初めて二人が会った駅に、再び妻は母を出迎え、母は初めて妻に微笑み、初めてその手をとった。
 先日、母は同窓会のついでに私を訪れ、幾ばくかの生前相続を口実に、来年の父の十七回忌に帰郷するよう求めた。母は、亡父と私の和解に加え、兄とのそれをも願っている。

 無表情に「帰る」と応じたが、居合わせた私の二十歳の次女は、私の葛藤を見透かした。
 私は、二度と帰らないと決めては、いた。
 かつて、義父は子供たちの未来を思い、望郷の思いを封殺して無念の帰化をした。その悲願を歯牙にもかけなかった私の両親について、生前義父はたった一度だけ語り、心に五寸釘が刺さっているようだと結んだ。私と両親を気遣い、言いにくそうに、泣いているとも笑っているともつかぬ顔をして。
 私は、義父の帰化と、何よりも妻の寛容に報いたいと、今回改めて願った。
 帰郷しないことで、義父の哀切に寄り添い、父であっても、尊厳を認めずに逝った者を弔わないことで、妻の尊厳を固く守りたい。何もかもへたくそだった私の、せめてもの償いを、私はこれの他に考えられないでいる。

 来訪した母の言動に苛立ち、父母や兄の心象を、またもどうにも不機嫌に語るのを、妻は私を刺激せずに聞き、やがて平静を得た私はやっと自問し、自らの考える真理を探った。妻の、折に触れてのこういう思いやりに対し、私は感謝の言葉を見つけられない。それこそ、五寸釘は今もなお、彼女の心をも貫いていることを、ややもすると私は忘れる。
 いまだ何処か、母や兄を納得させる道理を求めていた私は、その自己愛に満ちたこだわりの愚かさに、ようやく思い至った。

 故郷はもうすっかり様変わりしたと聞いた。しかし、私の心の故郷は当時のままで、帰らない限りは、ずっと、美しく悲しみをたたえている。
「な、そういうのも、いいものだろう」
 遺影の義父が、笑っている。



上記のエッセイで応募し落選した。
募集の前に書きあげ、募集が始まったと聞きウェブで確かめてみると、募集の趣旨がほのぼのとしたものを求めるニュアンスに変わっていた。
趣旨に外れているのにかまわず応募した。何よりもまず、読者や評者が見るものを書くことに慣れないといけない。
ただ、この主題については、後日、加筆したいと思いブログに載せることにした。