戦争誘発兵器としての宗教

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◆ 宗教による霊的弊害

 地球上を支配する悲劇は、間違った宗教による霊的弊害です。宗教は本来、人類に霊的真理を示して霊的人生を歩ませ、霊的成長をもたらすことを目的としています。宗教の役割は、「霊的恩恵を地上人にもたらす」ということに言い尽されます。こうした宗教本来の目的からすると、これまで地球上に存在してきたほとんどの宗教は“失格”ということになります。人類の霊的成長に全く役に立っていないどころか、反対に霊的成長の道を妨げてきました。

(シルバーバーチ)「地上にはこれまであまりに永い間、あまりに多くの世俗的宗教が存在し、それぞれに異なった教えを説いております。しかしその宗教が最も大事にしてきたものは、実質的には何の価値もありません。過去において流血・虐待・手足の切断・火刑といった狂気の沙汰まで生んだ教義・信条への忠誠心は人間の霊性を1インチたりとも増しておりません。逆に、徒らに人類を分裂させ、障壁を拵え、国家間、果ては家族間にも無用の対立関係を生みました。論争の原因ともなっております。分裂と不和を助長することばかり行ってきました。神の子等を1つに結びつけることに失敗しております」

 いずれの教理宗教も霊界から送られてくる“インスピレーション”から始まっています。インスピレーションを通じて示された教えの中には、霊的真理の一部分が含まれていました。しかし手にした霊的真理は人類を正しく導くにはあまりにも部分的にすぎ、またそうしたわずかな真理さえも地上人のエゴや無知によって歪められ、インスピレーションとしての純粋さが失われてしまいました。やがてそれは宗教組織に都合のいいものへと手が加えられ、人間の霊的成長とは全く無関係な人工の教義に作り替えられていくことになりました。

 霊界から見ると地球上のすべての宗教は、その目的を果していないどころか人々に憎しみや迷信を植えつけ、霊的成長とは反対方向に導き、ひいては戦争という人殺しを引き起こす張本人となっています。

(シルバーバーチ)「1つは伝統的宗教です。宗教的な有り難い教えを継承しているつもりでしょうけれど肝心な宗教としての機能を果しておりません。本当の宗教とは大霊との絆を結んでくれるものでなければなりません。なのに、この国の宗教はもはやその役目を果しておりません。かつては基盤となっていたインスピレーションはとっくの昔に教会から追い出され、代わって教義と信条とドグマと儀式のみが残っております。こうしたものは宗教とは何の関わりもないものばかりです。大霊に近づけるという宗教の本来の目的には何の役にも立たないからです」





◆「盲目性」という信仰の本質的要素

 宗教や信仰の本質は“信じる”ということです。理性・知性の次元を超えて、教えと信仰対象を、無条件に全面的にすべて受け入れるのが信仰であり宗教なのです。この点で思想や哲学・学問とは根本的に異なります。こうした「全面的受容性・盲目性」がなければ信仰とは言えません。“神仏への帰依”という言葉は信仰の本質をよく言い表しています。信仰とは、教義と信仰対象を心の底から信じ、すべてを丸ごと受け入れ、自分自身を信仰の対象に捧げ、それに近づくための実践に専念することに他なりません。信仰にはこうした真剣さがともなう分だけ、自分の宗教とは無関係な人間に対して排他性が生じやすくなり、妥協性や寛容性が欠如する傾向が強くなります。

 熱心な信仰者にとっては自分が崇拝している信仰対象が1番であって、自分のしていることは世の中で最も価値あることであるとの確信を持っています。もしそうした信念がなければ、人生を懸けた純粋な信仰は成立しません。「自分は正しい、自分は一番である」という信念こそが、信仰を支える本質なのです。

 信仰にはこうした盲目的と言ってもいいようなエネルギー集中がともなうために、普通ではできないことができるようになったり、自己の殻を破って飛躍することが可能となるのです。大きな魂の飛躍をもたらすことができるようになるのです。しかし同時に、それは一歩方向を間違えると凶器となって、本人ばかりか周りの人々をも傷つけ滅ぼすような恐ろしい結果を生むことになります。




◆ 宗教による人間の心の支配と「霊的牢獄」

 信仰にはエネルギー集中という「盲目性」が不可欠であることを述べましたが、それは見方によっては、目指す方向が正しければ飛躍的な発展(霊的成長)という霊的恩恵がもたらされることを意味します。しかし方向を間違うと、限りなく霊的成長から外れていくことになります。このように信仰は“両刃の剣”といった性格を持っています。問題は「方向性が正しいかどうか?」という1点にかかってきます。

 信仰の方向性を決定するのは、その宗教の教義の内容であり、指導者や組織の掲げる目標です。結論を言えば、これまで地球上のすべての宗教は「霊的真理」に対する“無知”から、正しい方向性を示すことができませんでした。間違った方向に人々を導いてきました。信仰の「盲目性」という特徴を、霊的成長に結びつけることができなかったのです。それどころか霊的成長とは全く逆のマイナスの方向、霊的成長を妨げる方向に人々を向かわせてきました。

 信仰は人々の心を強く支配します。そのためいったん間違った宗教を信じ込むようになると、その間違いに気が付くことができなくなります。信仰熱心な人であればあるほど、真剣な人であればあるほど、自らを「霊的暗闇・霊的牢獄」の中に閉じ込めることになってしまいます。そして1人の力では、そこから容易に抜け出すことができなくなります。

 「霊的真理」が絶対的な基準となっている霊界から見ると、キリスト教・イスラム教・ヒンズー教、その他ありとあらゆる地上の宗教は方向性が間違っています。そして人々は、その間違いに気づくことなく霊的牢獄の中にとどまり続けています。間違った宗教の教えに従い、大切な地上人生を無駄に過ごすことになっています。霊界に行って初めて、地上での信仰の間違いを悟り、後悔するといった人々があまりにも多いのです。

 また、稀に自分の信仰の間違いに気が付く人もいますが、長い間信じてきた信仰や宗教組織から離れることには恐怖が伴います。その宗教に背くと地獄に堕ちるといった教義に引きずられ、これまで通り霊的暗闇の中で一生を終えることになります。

「私たちは物質の子等がいかにして魂の自由を獲得し、いかにして霊的真理の光に浴し、いかにして教義の足枷を解きほどくかをお教えしたいと思っているのです。もとよりそれは容易な仕事ではありません。なぜならいったん宗教の虚飾に目を奪われたら最後、霊的真理の光がその厚い迷信の壁を突き通すまでには大変な時間を要するものだからです」(シルバーバーチ)

(シルバーバーチ)「大霊の息のかかった叡智が無限にあるというのに人間の浅知恵がこしらえた教義にしがみつこうとする人がいます。牢の中にいた方が楽だと思う人がいるものなのです」




◆宗教につきまとう“エゴ性”

 戦争とは、一言で言えば互いの正義の主張による衝突です。それぞれが自分の正義を主張して譲らないとき、最終的に戦争に至ります。これは別の言い方をすれば、「エゴとエゴのぶつかり合い」ということです。自分だけが正しくて相手は間違っているという姿勢は民族のエゴであり、国家のエゴであり、独裁者のエゴです。

 そして宗教同士の戦争も、自分達が正義で相手は間違っているという“宗教エゴ”から発生します。ただし宗教エゴは、民族エゴや国家エゴとは違った一面を持っています。それは宗教的感情・信仰的盲信という宗教に不可欠な強烈な要素によって作られているという点です。

 信仰における「盲目性」という本質をしっかり押さえておかないかぎり、宗教について正しく論じることはできません。宗教に盲目性が伴うということは、自己の信仰に反対する者、また批判する者は、自動的にその宗教にとっての敵となるということを意味します。信仰に基づく盲信性は、自分達だけが正しいとする正義心をつくり出し、自分達以外の者を“敵”あるいは“不信仰者”と見なすようになります。信仰や宗教には、このような偏狭性、ある種のエゴ性が初めから付き纏っているのです。

 こうした宗教の盲目性を利用すれば、宗教指導者は、いとも簡単に信者を操ることができるようになります。“組織”を絶対善とし、それに忠実に従うことが正しい信仰であるかのように洗脳することもできます。また他の宗教と戦うことが正義であるかのように信じ込ませることもできます。イスラム教における自爆テロは、まさにこうした間違った教義と組織のエゴによって起こされているものなのです。宗教のエゴ性は、組織を通じていっそう増幅されることになります。




◆宗教は戦争を引き起こす元凶

 宗教や信仰の本質について知らない人々は、なぜ宗教が暴力的になり戦争を引き起こすのか、疑問に思います。寛容・博愛・平等を唱える宗教こそ、人類を永遠の平和に導くものではないかと考えるのです。

 しかし現実を見れば分かるように、地球上の紛争・戦争の多くに宗教が絡んでいます。歴史を振り返ると、宗教同士の戦争のあまりの多さに驚かされるはずです。宗教に不可欠な盲目性という特性を考えると、宗教だからこそ、いとも簡単に戦争を引き起こしてきたのだと理解することができます。

 歴史的には数え切れないほどの宗教間の戦争が存在しています。代表的なものでは、キリスト教徒とイスラム教徒の十字軍戦争(*1096~1270年のキリスト教軍の遠征)を挙げることができます。また、17世紀のキリスト教の旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の戦い(30年戦争)も、その残虐性で筆頭に挙げられます。このキリスト教内部の新旧の戦いによって、当時のヨーロッパの人口の30%が失われたと言われます。現在の北アイルランド紛争は、この新旧のキリスト教の対立が現在まで持ち越されたものです。

 21世紀の地球上でも、実に多くの宗教による紛争・戦争が存在します。パレスチナにおけるユダヤ教とイスラム教の戦い、カシミール地方(インドとパキスタン国境)のヒンドゥー教とイスラム教の対立、イスラム教内部のスンニ派とシーア派の対立抗争、スーダンのキリスト教とイスラム教の対立抗争、インド国内のヒンズー教とイスラム教の対立などで、毎日殺し合いが行われています。





◆ スピリチュアリズムによる「霊的真理の普及」は、間違った宗教を地上から一掃する

 現在の地球上の宗教は「霊的無知」であるため、人類に幸福をもたらすどころか、反対に悲劇・不幸に追いやってきました。大半の宗教は、人類にとって有害なものなのです。地球上から宗教が消滅すれば、人類はもっと幸福になることができるはずです。戦争が起きると、その原因が政治の分野に求められますが、本当のところは政治よりも宗教に原因があることが多いのです。

 スピリチュアリズムは、人類に霊的真理と霊的事実を示すことによって、信仰的情熱をより広い霊的同胞世界に向けさせます。「霊的真理」によって地上の全人類が強い「霊的同胞意識」を持つようになれば、これまで地球人類を悩ませてきた民族エゴ(民族主義)や国家エゴ(国家主義)・宗教エゴの壁を見事にクリアすることができるようになります。宗教が民族エゴや国家エゴに利用されてきた歴史に終止符を打つことができるようになります。これまでの間違った宗教が地球上から一掃されれば、多くの戦争はその原因を絶たれることになるのです。スピリチュアリズムによる「霊的真理の普及計画」は地上から間違った宗教を消滅させ、人類を霊的弊害から解放し、宗教による戦争を根絶することになります。

(シルバーバーチ)「その仕事の前途に立ちはだかるのは、誤った宗教的教義によって築かれた巨大な組織です。何世紀にもわたって続いてきたものを元に戻さなくてはなりません。誤った教義を土台として築かれた上部構造を取り壊さなくてはならないのです」