〔あらすじ〕
昭和39年(1964年)の正月、任侠一門
の抗争で少年・立花喜久雄は父を失
う。その場に居合わせた上方歌舞伎
の名門当主・花井半次郎は、当日の
宴席で女形を演じた喜久雄の才能を
見抜き、部屋子として引き取ること
にした。半次郎には喜久雄と同い年
の実子・俊介がいた。花井家の御曹
司として、将来を約束されていた俊
介と、血筋という後ろ盾のない喜久
雄。彼は悪魔に魂を売る覚悟で芸の
頂点を目指そうとする。生涯の親友
であり、宿命のライバルでもある二
人の若者が、歌舞伎界という華やか
な世界で、栄光と挫折に満ちた人生
を共に生き抜く物語。
🔵監 督 李 相日
🔵製 作 国 日本
🔵配 給 東宝
🔵劇場公開 2025年6月6日
🔵受 賞 歴 第49回日本アカデミー賞 (10部門)
◎最優秀作品賞 ◎最優秀監督賞
◎最優秀主演男優賞 ◎最優秀脚本賞
◎最優秀撮影賞 ◎最優秀照明賞
◎最優秀美術賞 ◎最優秀録音賞
◎最優秀編集賞 ◎最優秀音楽賞
第98回アカデミー賞
◎メイクアップ&ヘアスタイリング賞
その他、各種映画祭の受賞多数
「時よとまれ、君は美しい」
1972年のミュンヘンオリンピック公式記録映画のタイトルで使われていた言葉だ。世界8カ国の映画監督が追い求めた選手たちの「一瞬の輝き」は、詩的な題名となって定着したのだ。
この言葉は、ゲーテの戯曲「ファウスト」で、主人公・ファウストが息を引き取る前に放った「時よ止まれ、お前はあまりにも美しい」という台詞に由来している。
人生に絶望していた彼は、快楽や若さを得る代償として、自らの魂を悪魔に売り渡す契約をする。そして、映画「国宝」の主人公・立花喜久雄もまた同じ運命を辿ることになる。「他のものは何もいらない」という約束をして、「芸」という悪魔と契約を交わすのだ。
契約を結んだ場所は、京都の花街にあった小さな神社だった。歌舞伎役者として、地道に名声を築いてきた喜久雄は、芸妓の藤駒と実の娘である綾乃と幸せな日々を送っていた。
ある日、神社でお参りを済ませた喜久雄に「神さんにぎょうさんお願い事するんやな」と娘が尋ねる。真顔になった喜久雄は「悪魔と取り引きしてたんや」と答えるのだった。その後、喜久雄は何かに取り憑かれたように、芸の頂点を昇り詰めていくのだ。
喜久雄の芸への執念は、何がきっかけだったのだろう?
歌舞伎界に根強く残る、血筋への反発からなのか、師匠・花井半次郎の代役で女形の大役に抜擢されたことに対する周囲の妬みや、その後の自分自身のスキャンダルへの怒りも要因だったかもしれない。
しかし、それらを遥かに凌駕する決定的な契機となったのは、喜久雄が16歳に初めて出会った人間国宝・小野川万菊の存在があったからだ。当時、舞台の上で「鷺娘」を踊る万菊を花井俊介と二人で観ていた。
恍惚となった表情で喜久雄は「化けもんや」とつぶやき、隣に座っていた俊介は「美しい化けもんやで」と絶賛する。喜久雄の鋭い感性は、万菊の背後に「美の深淵」を覗き込んでいたのだろう。
小野川万菊が舞った演目「鷺娘」は、人間との禁断の恋に身を焦がす白鷺の精が、妄執の罪により地獄の責め苦を受け、最後は降りしきる雪の下で息絶えてしまう物語だ。
「鷺娘」では、雪を白鷺の狂おしい恋心や、過酷な運命を暗示させる象徴として使われているが、映画「国宝」全体を眺めた時にも、雪は極めて重要な役割を果たしているように思われるのだ。
例えば、花井半次郎の代役を喜久雄が無事に勤め上げた時や、人間国宝として取材を受けた際に、インタビュアーから「この先どこへ向かわれるのでしょうか?」と問われ、「ずっと探しているものがある」と答えた後にも、雪が舞うシーンが織り込まれるからだ。
これらの雪は一体、何を象徴しているのだろうか?
私は「罪の浄化 (デトックス) 」としての役割があったと解釈している。「鷺娘」自体が、白鷺が犯した罪を浄化するように、大量の紙吹雪が舞う「身禊の儀式」だったからだ。
「身禊」という視点から、この映画を俯瞰すると、雪が舞い降りる中での任侠一門の抗争から始まり、終盤では大量の紙吹雪が降り注ぐ中、狂気乱舞する喜久雄の演技で幕を閉じる。雪から始まり、雪で終わる演出に、「罪の浄化」という意図を推察するのも間違いないのではないか。
すべてを犠牲にして、人間国宝という頂点に立った喜久雄が「ずっと探しているものがある」と呟くが、満たされない心が求めていたのは、「罪の浄化」そのものだったかもしれない。
〔関連記事・動画〕
〔配信〕

















