彼岸を過ぎて、猛暑の夏もやっと終わりそうですね。

涼しくなったから『そうだ、京都行こう』と久々に脚を向けました。

インバウンド政策で外国人に占領された感のある昨今の京都ですが、平日に山里の大原なら“閑かなお寺散歩”も出来るのでは?…との安易な思い込みでの上洛です。

 

 時間なら新名神~名神で京都に入り、白川通りでアプローチするのが早いと思いますが、市内の喧騒が嫌なので、琵琶湖大橋から途中越え(北から)でのんびり行きました。

 

国道脇の駐車場から三千院へ向かう『響の道』 観光客相手の店舗が並んでいます

 

観光客の切れ間を狙ってパシャリ 紅葉の頃には良い雰囲気になりそう

 

“国際観光地”三千院に着きました

 

諦めてこの奥の実光院、宝泉院にするかな…

 

 

 大原に着いてまず訪ねたのが定番の三千院。

駐車場に着いて驚いたのは“安易な思い込み”が見事にはずれた事(^^;

駐車場はほぼ満車で、観光バスから次々に観光客が降りて来ます。

見たところ90%以上が中国人に見えますが、意外なのはその大半が20代のお洒落した若い男女です。

 夏休みも終わったこの時期の平日に、海外旅行で過ごせる若者達って… 裕福なんですねェ。

 

でも、やっぱり三千院に入ります(^^;

 

客殿に入ってお庭を拝観します

 

聚碧園は客殿から鑑賞する苑池で、江戸時代の茶人の監修です

 

火燈窓越しに撮りたかったけど、窓の前は占領され荷物で橋頭保が築かれていました

 

 

 三千院は延暦年間(800年頃)に最澄さんが比叡山延暦寺を開いた時、寺域に建てた『円融房』がその起源と言われます。

その後、最澄さん手彫りの『薬師如来像』(現三千院ご本尊)を安置する伽藍を建てて『円融院』に改称しましたが、応徳3年(1086)には近江坂本に移転して『円徳院』になりました。

 貞永元年(1232)に焼失した『円徳院』は京都市内に移転し、洛中から東山を転々とした様ですが応仁の乱でまた焼失し、北部郊外の大原に移転しました。

 

宸殿 この縁側に座り抹茶を頂きながらゆっくり庭を鑑賞するイメージでしたが、とてもとても…

 

往生極楽院 寛和2年(986)創建の古寺:極楽院でしたが、三千院の移転時に吸収合併されました 

 

有清園は池泉回遊式庭園 

 

苔の種類が豊富ですね

 

 

 大原は古くから貴人や仏僧の隠棲・修業の地となっており、多くの天台宗寺院がありましたが、『円徳院』もこれらの寺院を監督する『政所』を置いていたので、そこに疎開した感じですね。

 元禄11年(1698)、徳川将軍綱吉は当時の門跡だった入道慈胤親王(後陽成天皇の皇子)の為に御所近くに寺地を寄進したので、洛中にまた移転するのですが、『円徳院』はこの頃には『梶井門跡』が通名だった様です。

 

 

 

往生極楽院の阿弥陀三尊像は国宝ですが、もちろん撮影NG

 

苔庭と樹木のバランスが見事ですね

 

 明治になり、当時の門跡だった昌仁法親王が宮家創設のため還俗して梨本宮家となったので、仏像仏具などの寺院機能はまた大原の『政所』に戻されて、新たに『三千院』を称して現在に至っています。

ですから、『三千院』の歴史は古くも有り新しくもあるのです(^^;

 

阿弥陀如来石仏 鎌倉時代作で高さ2mの大きな石仏です

 

三千院の外に出て、“音無の滝”へ向かいます 門は朱雀門

 

音無の滝 10mほどの滝ですが、岩肌を滑る様に流れ、静かです 仏教遺構等はありません

 

途中で見つけた沓の化石(?) 25.5㎝くらいかな(^-^;

 

人混みと中国語で溢れる三千院界隈を早々に切り上げて、次は『寂光院』に向かいます。

 しかし、中国の若者達って、厚顔無恥が服を着て歩いてる様な中高年に比べて、桁違いに国際マナーが見に付いていますね。

中国人に『I´m sorry』て言われる日が来ようとは(^^;

 

 

 三千院から寂光院へは国道を挟んで西側の谷奥まで2kmほど、『大原女の道』を歩いて行きますが、沿道は京野菜の畑も多く有り、また違った興味で楽しく歩けます。

さすがにこちらは観光客もまばらで、ほぼ日本人だけですね(^^;

 

大原の里 人もまばらな田舎の山里に見えますが、1200年以上もの人の汗と歴史が重なって埋もれています

 

“大原女の道” 地元の民家の間を縫って歩きます

 

路傍の湧き水

 

寂光院山門 尼寺らしい風情ですね

 

 

 『寂光院』は推古2年(594)に聖徳太子が御父:用明天皇の菩提を弔うために創建された歴史の古い寺ですが、代々高貴な姫君が住職となる尼寺で、女院の閑居御所として続いた歴史を持っています。

 中でも平清盛の長女の建礼門院にまつわる平家物語での逸話が有名で、源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康など時の権力者にも手厚く保護されて来ており、参拝者・観光客の目的にもなっています。

 

石段の途中にある苔葺きの門と四阿 素晴らしい!

 

その奥にある茶室の『狐雲』と園池 良い感じですが、ここは入れません

 

 

 建礼門院=平徳子は高倉天皇の中宮になって、安徳天皇を産んで国母となりましたが、源平合戦が始まると幼君である安徳帝、三種の神器ともども平家に同行して壇ノ浦まで行きます。

 大河ドラマ『平清盛』で徳子は二階堂ふみちゃんが演じていましたが、印象は薄く、母親の時子(深キョン)が孫の安徳帝を抱いて海に飛び込むシーンがやたら記憶に残っています(^^;

 

本堂は2000年に放火で焼失し、2005年に再建されました ご本尊の六万体地蔵菩薩立像も焼けたので、国宝修理所で模写造像が製作され安置されています

 

本堂前のお庭で抹茶を頂き、しばらく閑で穏やかな時間を過ごしました

 

建礼門院さんの庵居跡 訪ねて来た京人が思わず涙するほど簡素で、慎ましい暮らしぶりだった様です

 

 

 徳子はというと、入水するも源氏の武士に引き揚げられて生き残り、京に送られます。(深キョンから「あなたは生きて帝と平家一門の菩提を弔いなさい」と言われていた様な…)

京では剃髪して洛東の吉田に隠棲しますが、地震の被害を受けて大原寂光院に移り、ここで生涯を終えました。

質素な庵でひたすら経を読み、菩提を弔う静かな暮らしだった様です。

 

 

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 今夏も猛暑記録の更新続きで、夏野菜の出来も散々でしたが、ここに来て収穫する野菜は好調です。

中でも植樹7年目の栗2本が初めて実を付け、いきなり20kgもの収穫です!(^^)!

夏の暑さが良い作物も有るんですね。

 

 

秋の新作 今回のチャレンジは色のグラデーションですが、手持ちのフィルムでは色が出ず、ダイソーで色々調達して試し、やっとここまで…