先週は二十四節気“小雪”の初候
北国からは雪の便りも聞こえ始め、我が家の山茶花も咲き出しました。
23日の水曜日(勤労感謝の日)には滋賀県で恒例の『のろし駅伝』がありました。
今年は上平寺城をスタートに、リレー方式で3分おきに38の城から狼煙が上がります。
何とかカメラに収めたいと思っていたイベントなので、より多くの城(煙)が見やすい場所は?と計画を練り、彦根城本丸を拠点にして、機材を持ち込んで写す手筈だったのですが…。
運悪くこの日に限って“曇りのち雨”の予報になってしまったので、前日に断念です。
しかし雨が降り出すのは正午頃の予報なので、諦めの悪いジサマは水口岡山城に場所を替えて、南近江の狼煙だけでも…と期していました.。
そして翌朝、すでに朝から雨模様で、正午前には本降りになるとの予報で敢無く断念です。
また来年ですね。
翌24日は天気も回復し、前日が嘘のような快晴です。
のろし駅伝の後に寄って来る予定だった紅葉を楽しみに、甲良町の西明寺へと出掛けました。
西明寺(さいみょうじ)は金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」と称される由緒ある天台宗の古寺で、ともに紅葉の名所として親しまれています。
駐車場の車のナンバーも、東北から九州まで多士済々でした。
寺の創建は承和3年(836)と言いますから、平安時代初期の古さなのですが、近年の調査では本堂の柱から飛鳥時代の仏像画が発見されて、創建はさらに遡る可能性があります。
西明寺の庭園『蓬莱庭』は池泉回遊式庭園で、木々の紅葉と季節の花が綺麗ですが、地面の一面の苔もまた素晴らしく、京都西芳寺に近いものがあります。
西芳寺は非公開部分も多く敷居が高い感じですが、西明寺はマナーを守ればほぼフリーなので、初夏の苔庭鑑賞もまたオススメですね。
庭園を抜けると、檜皮葺の本堂と三重塔があります。
ともに本堂は鎌倉初期、三重塔は鎌倉後期の建築で、国宝に指定されています。
他にも二天門や本尊の薬師如来像など多数の重要文化財があり、仏像好きにも必見のお寺です。
室町期からの最盛期には“僧坊三百”の大寺院でしたが、織田信長の比叡山焼き討ちの際に、近郷の天台寺院もすべて焼き討ちされました。
西明寺にも丹羽長秀と河尻秀隆の兵が迫りましたが、寺僧の機転で参道の両側に並ぶ僧坊に火が掛けられました。
物凄い業火に織田兵は近寄る事も出来ずに引き揚げたので、主要な建物や寺宝は焼失を免れて、現在まで伝わっています。
『湖東三山紅葉巡り』のバスツアーがある様で、平日でも観光客は多めですが、外国人は見当たらず、京都のお寺の様な事はありません。
辺り構わない自撮り棒の記念撮影や嬌声に邪魔されない日本人らしい適度な静寂の中で2022年の紅葉を満喫しました。
来年は金剛輪寺にしようかな?
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西明寺は勝楽寺山の西麓に有りますが、同じ山の北麓には勝楽寺があります。
勝楽寺は京極(佐々木)道誉の菩提寺で、墓もここにあります。
先ごろ、京極氏の諸城を巡って投稿しましたが、道誉は京極氏の最盛期を築いた人で、“バサラ大名”と呼ばれた破天荒な人でもあります。
六角氏から近江守護職を奪い、他にも三ヶ国の守護を兼任した道誉は、本拠の坂田郡から犬上郡南端のこの地に進出して、城館を築いて政務と遊興に励んでいた様ですね。
距離にして1kmあまりなので墓参して、日頃の無礼を詫びたいとおもいます(^^;
勝楽寺 山門は勝楽寺城からの移築だそうです
さすが婆娑羅大名 この墓石は…どうよ?
大河ドラマ『太平記』より 佐々木道誉(陣内孝則さん)