熊野古道歩き、つづいて松本峠へと上って行きます。
熊野古道伊勢路、全170kmで、これまで14の峠を越えて来ましたが、松本峠が15番目で最後の峠になります。
峠の比高は130mで大した事は無いのですが、1㎞足らずで踏破してしまうので、斜度は相当にきつくなっています。
ただ、熊野市街に近い事もあって一番観光地化されているのもこの峠で、整備は行き届いている様ですね。
宮川の大泊橋から見る松本峠 中央の谷間が峠で、この山塊の左の先端が『鬼ヶ城』です
国道42号線脇にある登り口 看板も国道を向いていますが、100m東に駐車場があるので、“様子見”に覗いて見るのも可能です
残り26㎞…、カウントダウンですね(^^;
松本峠も地形的に迂回できるルートが無く、近代の大正14年にトンネル(木本隧道)が開通するまでは幹線道路として使われた峠道でした。
登り口の辺りは近年の改修なのか、四角い切り石の階段が形成されていて、神社に登って行く雰囲気ですが…
すぐに江戸時代の自然石の石畳へと変わります。 それにしても、急な登りですね(^^;
休憩の平場も無く、どんどん登って行きます。 壁面も石垣積みの石畳で、材料はふんだんに有るとは言え、凄い工事量ですね(^^;
横を流れる沢水も岩盤の上を嘗める様に流れて行ってます
峠が近付き、緩斜面になると石畳も上質になります。
この石畳は明治初年の作で、実は明治元年に地元の漁民が起こした“鮪の水揚げ”をめぐる騒動で、その罰として代官所が漁民に課した“賦役工事”として作られたものだそうです。
単純に金銭の賠償や禁固刑でなく、地元の利便に繋がる賦役の刑罰というのも良いですね。
山口県阿武町もこれで行きましょう(^^;
…と、言ってる間に峠に着きました。
余談ですがこの峠を境にして、電力供給が中部電力から関西電力に変わるんだそうです。
峠が近付くと石畳は“明治の道”に変わります
峠が見えてくると周囲は竹林になります 峠の茶屋の竹林か?
松本峠の頂上です
案内看板の記述は、観光案内のみ
江戸期に建った大きな(等身大?)地蔵様
建てられたその夜、たまたま通り掛かった猟師が“妖怪”と間違えて銃撃してしまい、その弾痕が残っているそうですが、探してもよく判らなかった…
(帰宅後に調べたら、左足のふくらはぎ辺りに穴が空いてるそうです)
松本峠からは、“古道随一”と言われる絶景が見られるので、尾根筋を南へ少し寄り道して行きます。
長く険しい峠道の連続もこれで終わり、あとは平坦な浜辺の道が新宮まで続く訳ですが、昔の巡礼者達にとっても、この山上から見渡す景色は過酷な道中の疲れを忘れさせてくれる、格別のものだった事でしょう。
南(鬼ヶ城方面)へ尾根筋を200mほど寄り道
すると、新宮方面を俯瞰できる東屋があります
天候がイマイチですが、熊野古道随一と言われる七里御浜の景色
名勝:獅子岩と花の窟も遠望できます 今日の予定はその先の有井駅までなんですが…
ゴールの熊野川河口から那智の山々も見え、巡礼者達もきっと歓声を挙げた事でしょう
また峠に戻って、熊野市への道を下って行きます。
こちら側の道は観光客も格段に多く(この日は誰にも遭いませんでしたが)、整備も行き届いているので、アッという間に麓に着きました。
見るからに、良く踏まれた遊歩道
熊野の町並みが見えて来るのも、すぐの事でした。
路傍の石仏もよくお世話されていますね
はい、麓に到着です
熊野市中心部のこの地は、かつては木本(きのもと)と呼ばれた地区で、中世には奥熊野代官所が置かれ、一円の行政と商業の中心として栄えました。
昭和29年に周辺の8町村が合併し、熊野市と名付けましたが、“熊野”とは古来南紀州一帯を指すとても由緒のある地名であった事から、和歌山県側から『まさかやー! ありえん!』と猛抗議を受けたそうですが、押し切って今に至っています(^^;
街道沿いにある『熊野古道おもてなし館』は軽食喫茶のレトロな店でした
街道は新しい葺石で舗装され、歩きやすくなっていますが… ここで俄かに雨が降って来ました。 天気予報では0%だった筈なんだが
雨雲レーダーで確認すると、もう止みそうにないので今日はここで切り上げ、クルマのある熊野市駅近くの市営駐車場に向かいます。(5時間駐めて\400でした)
ここまで歩きました。 残りは23㎞、あと一回で行けるかな?
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自宅の花壇の花が盛りを迎え、時候と相俟ってなんだか華やいでいます(^^)
花の有る暮らしは気持ちに潤いをもたらし…良いものですね。
今年はジキタリスが当たり年なのか、大きく育ちました
3年目のチャレンジでやっと咲かせられたルピナス
玄関脇に直植えしたので大株に育ったペラルゴニウム これは派手です(^^;