前回に、行程最大の難所“八鬼山越え”をクリアしたので、今回はその余勢を駆って、熊野までの残りの山岳部を一気に踏破すべく、一泊二日の計画を立てて出掛けました。
熊野古道歩き初の一泊二日計画 果たして上手く距離を延ばせるでしょうか!?
前回の終点:三木里駅にクルマを停めると、海に沿って最初の三木峠を目指します。
見下ろす海は賀田湾と呼ばれる比較的大きめな入江で、入り口が狭い為に波がとても穏やかな湾でした。
普段は小さな漁村が幾つかあるだけですが、台風が来ると避難する大型船で賑わうそうです。
前回もお世話になった三木里駅 東紀州の駅はほぼどこでも車が停められる大らかさがあります(無料)
岬を廻るR311で海沿いをしばらく歩くと…
古道入口があります ここは常備の杖は必携!でした
最初から現れる難所は通称“比丘尼転び” 女性の筋力では厳しい段差が続きます
木々の間から時折現れる賀田湾 波静かで穏やかな入江です
三木峠は比高120mの低い峠ですが、勾配はきつくて石段の段差が大きく歩きにくいせいか、近辺の古道は明治になると“明治道”によって完全に廃れてしまった様です。
近年になって地元の方々の発掘で発見され、多大な労力の整備によって復元されました。
この区域は世界遺産に登録されていますから、ひとまず苦労は報われましたが、あとはもう少し歩く人が増えるとイイんですけどね。
急斜面を石段で登る江戸道と、左にカーブして行く平坦な明治道 荷車が走れることがコンセプトですからね
江戸道は段差の大きいままさらに続きます 女性だと一段を二歩要すので、歩行ペースは半分に落ちてしまいますね(^^;
やっと着いた三木峠
峠近くのピーク上には展望台があり、賀田湾の入口から外洋が見渡せます
下りも段差は大きいまま、一気に下りて行きます
三木峠を下って一旦海辺の古江集落に出ますが、古道はすぐに山間に入って行き、羽後峠へと向かいます。
比高140mの、こちらも低い峠道ですが、この辺りは明治から昭和20年代にかけての食糧難の時代に開発された段々畑の跡と、それを囲う猪垣が広範に遺る地域です。
畑は幅3mほどの細長い形状ですが、石垣を2mほど積み上げる事で確保されています。
それが階段状に積み重なる様は、“日本のマチュピチュ”で、これまた途方もない労力の結晶ですね。
下りて来た古江浦 賀田湾の入り口の正面で、湾は左右に深く入り込んでいます
古江から賀田にかけて続く石垣造りの段々畑を通り抜ける古道 もう耕作放棄され久しい様ですが…
イノシシの進入を防ぐ猪垣とともに延々と続き、これはこれで遺産です
古道沿いにあった“山の神” 楠の古木に守られ、歴史の深さを感じますね
舗装路に出ましたが、古道は先へと続いています
道を修理中のボランティアの方が居たので話を伺うと、最初はサツマイモが主な作物だった様ですが、戦後はミカンに変わり、昭和末期には杉が植えられたものの、そのまま放棄されているのだそうです。
おそらく3世代くらいで造られ、維持された石垣の遺産も、捨てられるのは一瞬の事ですね。
何らかの形で保存され、後世に伝える術は無いものでしょうか?
結局、段々畑は峠の上まで続いていました(^^;
落石注意! 2トンはありそう
猪垣の隙間を左折して、古道は麓へ下りて行きます
麓の賀田近くに並んでいた五輪塔は、行き倒れの巡礼者を弔うものだそうです。 八鬼山越えを終えてでホッとしたのも束の間、思わぬ難行に力尽きる旅人が続出したのでしょう
賀田の集落に出ましたが… ありゃま、もう3時やん(*_*)
羽後峠を下って海辺に出ると、本日の中間点のJR賀田駅に着きました。
次の二木島駅がゴール予定ですが、ここまでに3時間が経過し、電車の時刻まで残された時間は2時間半しかありません。
比高305mの甫母峠越え(5.7㎞)はちょっと難しい…事故を防ぐには退く勇気が大切なので、今日はここまでとして早めにホテルに入る事を決断します。
この日の宿にネット予約したホテル(HPより借用) 知らなかったけど、釣り人に人気の宿らしく…
ロビーには泊まった有名芸能人の写真が沢山有りました。 部屋もサービスも洗練されています
こんな時期にも拘わらず満室で、全て日本人の(静かな)上客。
料理はもちろん獲れたての魚貝が中心で、たまにはこんな旅(歩かない)もいいもんですね(^^;
前日から判っていた事ですが、翌日(日曜日)は朝から雨。 しかもまとまった雨量に7~8mの風を伴う荒れ模様です。(宿が絡むと融通が利かないものです)
こんな日に山に入るのは自殺行為なので、キッパリ諦めて、後日に期する事にします。
…という事で、目標達成率20%に終わってしまった週末の古道歩きでした(*_*;