春にアクシデントで中断していた“熊野古道伊勢路歩き”を再開。
晴天に恵まれた11月も最後の土曜日、久々に伊勢路に戻って来ました。
今回歩いたのは、内陸のJR紀勢線船津駅から海辺の相賀に出て、世界遺産の中心とも言える石畳の馬越峠を越えて、尾鷲に至る約14kmの道のりです。
無人のJR船津駅 ここにクルマを置きました
前週に見渡す限りの紅葉を見て来たばかりなので、全山深緑の山というのはヘンな感じ(^^;
相賀までの前半は、国道42号線と離合しながら平坦な山裾の旧道を歩く、楽な行程でした。
船津は海からは2km以上も内陸ですが、かつては入江の最奥部だった様で、船津川に沿った平地は湿地が多く、耕地は山裾に僅かに有るだけです。
一方で周囲の山々は紅葉の時季にも拘らず、全山針葉樹の深い緑に覆われていますから、ひと昔前までは漁業とセットで林業が産業の主力だった事でしょう。
山々の保水力と岩盤地質が相俟って、冬場は“水無川”の内頭川
地域を上げて水質保全に取り組んでおられる様でした
それを裏付ける様に、船津川支流の内頭川流域には『河童伝説』があって、子供らに『川で悪さをしとったら河童に肝を取られるでぇ…』と語られて来た様です。
つまり“川を汚すな”という戒めで、海の恵みを得る為には山と川の保全が最も大切な事を語り伝えて来たのでしょうね。
相賀に入りはじめてコンビニがあったので休憩しますが…、リッター\161は地元より\30くらい高い(*_*;
旧道に入った相賀の町は街道らしい落ち着いた佇まい
北側の山肌に人造の岩壁がありました。 通称:相賀の北壁!?(嘘です)
相賀(あいが)は旧海山町の中心地で、2007年に紀伊長島町と合併して紀北町となったものの、人が集まりインフラの整った町です。
魚港のある相賀浦は、鎌倉初期に平家の落人が隠れ住んだ場所で、歴史のある町ですから町の佇まいにも落ち着きがありますね。
瑞龍山真興寺 真田が興した寺で、真田幸昌(大助)の開基との伝えがあります。紀伊長島にも有りましたが、大助生存説の地のひとつですね
相賀も町はずれ、前方に馬越峠のある天狗倉山(522m)が迫って来ました
相賀を通り抜けると、銚子川の造った谷間になります。
この辺りは俗に『種まき権兵衛の里』と伝わる場所で、また多くの伝承がある様です。
『♪ゴンベさんが種まきゃ カラスがほじくる 三度に一度は 追わずばなるまい…』と謡われたゴンベさんは、上村権兵衛という実在の人物で、江戸時代初期の郷士だったそうです。
渡るのは銚子川 “奇跡の川”と最近よく取り上げられますが、奇跡などではなく上流の森の保全が為せる透明度なのでした
もう河口付近なのですが、イワナの群れが泳いでいました
森林がよく管理された山々と種まき権兵衛の里
農作物を鳥獣に荒らされても追い払わずに、根気よく植え直す優しい心根の人で、里人から慕われていましたが、馬越峠に巣食う大蛇(盗賊か?)を退治に出掛け、見事に退治するも、還らぬ人となってしまいました。
ゴンベさんの唄(ズンベラ節)は、その遺徳を讃える唄なのだそうです。
国道脇に飾られているゴンベさんのレリーフ
道の駅で昼食休憩して峠越えに備えます
後半はいよいよ馬越峠の石畳です。