黒井城の次は北上して京都府に戻って、明智光秀とゆかりの深い福知山城を訪ねます。

来年の大河ドラマの主役に登場する光秀(麒麟がくる)、大河ドラマでは放送期間中限定で大河ドラマ館なるものがゆかりの地に開設され、ドラマのPRと歴史散策にひと役買っていますが、麒麟がくる』ではなんとこの福知山に開設されるのだそうです。

出生地の岐阜県明智町か近江坂本(大津市)かなと思っていたので、意外ですね。

 

 

日本200名城 №158 福知山城 京都府 

登城日:2019.6.13

 

 別名     横山城、臥龍城、八幡城、福智山城、掻上城

 城郭構造   連郭式平山城

 天守構造   複合・連結式望楼型(1699年築)1985年外観復元

 築城主    明智光

 築城年     1579年(天正7年)

 主改修者    有馬豊氏

 主城主   明智氏、朽木氏

 廃年     1873年(明治6年)

 遺構     曲輪、石垣、井戸、移築番所・門

 指定文化財  福知山市史跡(石垣部分のみ)

 再建造物   大・小天守・釣鐘門

 城の観点      現存数が少ない光秀の城の姿

 見どころ   石垣に残る光秀の実像

 所在地      京都府福知山市内記一丁目

 

福知山市街の中心にポツンと建つ福知山城

 

駐車場があるのは天守のある本丸の堀を挟んだ東側

 

このエリアはレストランなども集中整備されていて、観光の中心を城に置いている事が判ります

 

駐車場から本丸に渡る太鼓橋状の階段 もちろん復元ではなく利便性と美観を調和して造られたものです

 

 

 福知山城は戦国期には国人である塩見氏が領しており、当主の大膳勝頼が築いた“掻上城という小規模な城砦がその始まりと言われています。

  勝頼の子:頼氏は掻上城を拡張し、“横山城”と呼んで支配拠点にしていました。

そのの信房の代になった天正年間、丹波は織田信長(明智光秀)の侵攻に晒されます。

 信房はじめ塩見一族は赤井直正に従う形で徹底抗戦していましたが、直正の黒井城が落ちた天正7年(15798月下旬、大挙して押し寄せた明智軍に攻められ、衆寡敵せず切腹して果てて城は明智光秀の手に落ちました。

 

本丸側には二重櫓と多聞が待ち構えていますが、これは遺構とは別の美術館

 

本丸壇上へと登って行く坂道は新たに造られたものの様です

 

水色桔梗の幟が並んでいますが、純粋な城好きは興醒めする道です

 

本丸石垣が見えて来ました。 これは明らかに遺構ですね

 

本当はこうゆう意味のない構造物は無い方がいいのですが…

 

 

 光秀は横山城の名を福知山城と改め、城代に従弟の明智秀満を置くとともに、城の近代城郭への大改修を命じました。

 江戸時代の福知山城の縄張りはこの時に造られたと言われ、光秀の命で近郷のたくさんの寺社が潰されて石材が強引に集められ、本丸、二ノ丸、三ノ丸の連郭の土塁に積み上げられたという記録が残っています。

 

 ドラマや小説では、神仏を尊び朝廷や将軍の権威を重んじる光秀が、信長の傍若無人なやり方に付いて行けず、本能寺の決断に至る苦悩の過程が描かれるのが定番ですが、史実は“違う”事はこの城の石垣が証明していますね。

 

 

《後編》につづく

 

 

 【孫達とのかけがえのない瞬間】 

 息子夫婦が遅い夏休みで旅行に出掛けた一週間、初老の夫婦は孫二人の預かりで賑やかな時間を過ごせました。

 今年5歳と3歳で、まだまだ100%の愛情と信頼だけで成り立つ“気の置けない”関係で、互いに心地良い、最上の時間です。

 

 

 

 しかし子の成長は早いもので、やがては“気遣い”が始まり、それが負担になって行くと、一緒の時間も減って行くのかな?と思うと、孫の成長とともに一抹の寂しさも感じてしまう一週間でした。