篠山城を後にして北隣の丹波市へと向かい、黒井城を目指します。

この日2目となる本格的な山城の黒井城は、戦国時代には内藤氏の八木城、波多野氏の八上城と並び丹波三名城と称された城で、その中で唯一続日本百名城に選定されています。

 

日本200名城 163 黒井城 兵庫県 

登城日:2019.6.13

 別名    保月城、保築城

 城郭構造      連郭式山城

 天守構造      不明(礎石あり)

 築城主   赤松貞範

 築城年   建武年間

 主な改修者 赤井直正、斎藤利三、堀尾吉晴

 主城主      赤松氏、赤井氏、斎藤利三、堀尾吉晴

 廃城年   1584年(天正12

 遺構    石垣、空堀、郭跡、堀切、土塁

 指定文化財   国の史跡

 再建造物      なし

 訪城の観点   丹波の赤鬼の棲家とは

 見どころ  山頂主郭の規模と尾根に拡がる砦群

 所在地   兵庫県丹波市春日町多田

 

 篠山城から黒井城へは15㎞ほどの道のりですが、時間節約のため高速(舞鶴若狭道)を使います。

最寄りの春日ICを降りる際には、前方に猪ノ口山が聳えていて、山頂に城址のシルエットがクッキリ見えます。

とても判り易いランドマークになっていますね。

 

登城路へは黒井小学校が目印で、学校の脇を登り詰めた所に専用駐車場があります

この城址は賑やかそうですね

 

登城口の最初がこの急階段 先が思いやられますね(^^;

 

城郭体系より 登城口のルートが大手道の様です

 

 

 黒井城が築城されたのは室町初期の建武年間の事で、赤松円心の二男:貞範が中先代の乱(1335戦功を挙げた褒賞で、丹波の春日部荘一帯に所領を得た事に依ります。

  貞範は一貫して尊氏=北朝方として活動したので、後には美作守護を任されますが、この時期には丹波氷上郡春日が本領だった様です。

 自ら春日部氏を名乗ったりしていますから、この地に居館を設えて、詰めの城としての黒井城築城だったのでしょうね。

 

路傍にあった凝った灯篭 いつの時代のものか?

 

道は地道の部分が多く、雨が降ると滑りそう 登山靴必須ですね

 

最初に現れた遺構は三段に連なった曲輪 夏の山なので見やすくはありませんが…

 

 

 赤松氏の支配はその後5代まで確認されていますが、戦国初期のこの地域の支配者は荻野氏に替わっています。

 荻野氏は平安末期に信濃から流れて来て丹波一円に根を張った葦田氏を祖としており、鎌倉初期に一族の葦田為家が氷上郡の赤井野を本拠として赤井氏を名乗りますが、後に分家した赤井忠朝(改め荻野忠朝)は南北朝の争乱で活躍したので荻野氏は次第に本家:赤井氏や宗家:葦田をも凌ぐ勢力になり、両家一族を従える様になりました。

 

段差になる部分には空堀と土橋の痕跡が確認できました

 

最後の段差は浸食崩落が進んでいますが、右折れの枡形かな?

 

登城路に沿った郭は広さがあります

 

 

 鎌倉・室町の封建体制では、守護や地頭が決められて赴任して来ますが、現地の基盤を支えるのは古くからその土地に暮らす土豪達であります。

 そんな荻野氏が下克上の時流に乗って、赤松、細川、内藤、三好氏などから徐々に支配権を奪還して行った訳ですね。

 

その②に続く

 

 

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