波多野氏の裏切りに激怒した信長の命もあって、光秀は天正5年には再度大軍を率いて丹波に進軍します。
この事態を想定していた秀治はじめ丹波の国人衆は、それぞれの城に籠城し、知り尽くした地理と支城群のネットワークをフルに使っての、明智軍の翻弄・撃退戦術を採りますが、戦術に長け用意周到な光秀は主要な城を同時に包囲し、長期戦の構えを敷きました。
八上城と支城群 支城の法光寺城との間の谷が殿町と呼ばれる城下だった様です 包囲する明智軍は後方の支城や砦を全部落としたので、八上城は孤立してしまいます
八上城主郭部 全山要塞化された大規模な山城ですが、夏場は藪が深くて登城路の周辺しか見られません
登城路は両崖の尾根道になり…
次いで主郭部への虎口が現れました
ここに大規模な竪堀が遺ります
それと同時に国人の誘降調略と小規模な城の個別撃破を進め、ジワジワと包囲網を絞って行きます。秀治にすれば、囮になって籠城し敵を引き付けたものの、肝心の背後から奇襲を掛けるべき味方が次々に消滅する事態ですから、自ら墓穴を掘った形になってしまいました。
光秀の凄いと思うところは、こんな総力戦の戦いを進める傍ら、この期間もアクティブに雑賀攻め、信貴山攻め、毛利(神吉城)攻め、有岡城攻めに参加し、戦果を挙げているところです。
個々が有能で殿が居なくても手抜きしない家臣団を育てていないと出来ない芸当ですよね。
信長に激賞された…というのも嘘ではないでしょう。
主郭部に向けては急坂となり…
道の脇には守備の小郭が段々に続いています
中世の山城としてとても重要な厚い防備なのですが、残念ながら説明看板がありません
涼御殿の高い土塁が右手に現れると…
山頂部の虎口となる右衛門丸に着きました 若干の石積みがあります
籠城も1年半が経過した八上城では、丹波だけでなく丹後、但馬まで、頼みの勢力の降伏が次々に伝わる中、兵糧も底をつき、天正7年(1579)6月、ついに降伏開城しました。
秀治と弟の秀尚は安土に送られましたが、信長に赦しを請う事もなく、敗軍の将として粛々と磔刑に処せられたといいます。
右衛門丸は指揮所というより馬出し機能か
その上に見えてるのは…
三ノ丸で、武者溜まりであったと思われます
そしてすぐ上に続く二ノ丸
ここはまとまった広さがあるので、御殿機能だった事でしょう 奥の高みが本丸です
この八上城落城の際に、以前のドラマや映画などでは、なかなか落ちない事に困り果てた光秀が、秀治の助命を条件にして降伏を促したというシーンが描かれていました。
光秀が助命嘆願の添え状を書くから、それを持って安土に行けば信長も赦してくれる…という誘降の提案で、その保険に光秀の母が人質として八上城に入ったというものです。
ところが信長は有無を言わさず秀治を処刑してしまったので、怒った波多野氏は光秀の母を磔刑に処してしまい、それが本能寺の変の伏線となった…という筋書きでした。
しかし、こうして史実を紐解いて行くと、八上城の攻防戦がそれほど切羽詰まった戦いではなく、仮に 落城が1年延びたにしても大勢に影響はなかった事が判ります。
本能寺の変の動機を含めて、後世にドラマチックに盛られた創話ですね。
最高所の本丸へと登って行きます
壇上はさほど広くないので、物見に特化した機能か?現在は『従三位波多野秀治公』の顕彰碑が建っています。 異例に高い官位ですが、なんでも正親町天皇の即位に際し多額の献金をした返礼との事です。しかしそのタイミングは三好長頼に八上城を奪われてた時期と重なるのですが…謎!
本丸は狭いけど、広い帯曲輪に囲まれています
下から見ると、本丸には石垣が積まれていますね。 あまり意味のない石垣ですけど…。
落城後の八上城には光秀の城代が入り、豊臣政権下でも亀山城主の多紀郡支配の支城として機能し続けた様ですが、慶長7年(1602)、亀山藩主の前田茂勝が移封して来て、八上藩5万石が立藩
され晴れて城主になります。
茂勝は豊臣政権で五奉行を勤めた前田玄以の嫡子で、八上城北麓(現:春日神社)に居館を構えて執政しましたが、キリシタン大名だった故に危険視されてるとの観念から心を病み、諫言する家臣を手当たり次第に切腹させるなどの異常な行動が続いた為、慶長13年(1608)6月、幕府から“失政”により改易とされて堀尾吉晴の預かりとなりました。
この山は丹波富士とも呼ばれる山なので、視界は360度開けています篠山市街もハッキリ
次はあの篠山城を訪ねます
後には常陸笠間3万石から松平康重が5万石で加増転封して来るのですが、康重は八上城には入らず廃城とし、翌年から西方2㎞の平地に平城の新城:篠山城が天下普請で築かれ、城主となりました。
康重には家康落胤説(母が家康の侍女で、家康の子を宿したまま松平家(松井)に嫁いだ)があるので、前田茂勝の改易理由自体もなんだか怪しい気がしますね。
出た! これはツチノコではなく赤マムシ(オス) 麓に下りる途中で遭遇しました。 あと一歩で踏んでしまうところでしたが、夏の山城探訪のリスクのひとつですね(^^; ご注意ください。