桜の開花に合わす様に新元号が発表されて、新しい時代のスタートを連想させる、いつもと少し違った春の訪れです。

自宅近くの桜の通り抜け 準備万端整っていますが、寒波来襲で満開は足踏みです
熊野古道歩きの続きです。
古里海岸を後にして、道瀬からこの日二つ目の三浦峠を越えて、始神(はじかみ)まで歩いて行きます。

【道瀬】
古里から国道はトンネルに入って道瀬へと抜けますが、熊野古道は岬の中腹の山中をグルリと迂回して行きます。
『サボ鼻道』と呼ばれるこの旧道からは、“紀伊の松島”と称される海岸と島々の絶景が堪能できました。

古里海岸から国道の歩道に戻り西進します

国道はすぐに古里トンネルになりますが、古道は正面のホテル(廃屋)の裏を通って岬を廻ります

古道は遊歩道として整備されています

岬の先端に展望台があって景色が楽しめます

“紀伊の松島”だそうです

たっぷり陽光が有って、海が碧くて…絶景ですね
岬を抜けると道瀬海岸で、ここは小さな港のある“漁村”の景観です。
現在の熊野古道はここでは集落の道には入らずに、海岸の堤防を歩いて通り抜ける事になっています。
その理由は?…と考えてみるのですが、おそらく、道瀬地区が古里みたいに観光地化された地域ではない事かな?

遊歩道の続きはよく整備された杉の林間 梢の向こうが海なのは、見慣れない景色です

遊歩道の最後にある若宮神社 謂われなどは判りません(先を急いだので…)

神社の前から堤防へ上がる橋 生活道路へは通行止めになっていました
集落の道はクルマ1台がやっとの狭さで、そこには漁業を中心にした住民の素朴な暮らしがあります。
熊野古道を観光資源として売り出す際には、賛否両論は有ったと思いますが、多くの住人に不特定多数の観光者の来訪は“有難くない事”なのではないかな? おそらく。
そんな事を想いながら堤防を歩いて行くと、作業している漁師さんの会話が耳に入って来ました。
今はアジがよく揚がってるそうです(^^)

3月24日時点で8分咲き

低い位置から見る紀伊の松島もまた綺麗です

三浦海岸を離れて峠へと向かいます
【三浦峠】
三浦峠は最大標高が113mで、さほどに険しい峠ではありません。
しかし、一気に峠に登った後の街道は北に大きく迂回しており、長く山路を歩いてから平地に下りて行きます。

峠の入り口からすぐに地道(^^;

道はすぐに狭くなり、意外と急坂で登ります

が、すぐに峠の切通に着きました 一石峠もそうでしたが、切通しなんですね
その理由は三浦の里が低い土地であり、満潮時にはかなり内陸の奥深くまで湿地となったため、これを避ける意味で“熊谷”と呼ばれる谷まで迂回してたそうで、“熊谷道”と特に呼ばれていたそうです。

下りは緩やかで、道もよく整備されていて、これは歩きやすい♪

よく手入れされた樹林は明るくて気持ちイイ

熊谷川に架けられた木橋は立派なものでした
昔の事だから、普通に熊が出る谷間だったのかな?
そういえば“熊野”だから、平地にも知床みたいに普通に熊が居たのかも…(^^;
この大迂回が解消されたのは、大正6年に三浦トンネルが開通して以降の事だそうです。

快適な林間の古道も林道に合流して終わります

アスファルトの道になるとすぐ人里です
【三浦】
三浦の里には少しまとまった平地があって、商店や近隣の公共施設があり、JR紀勢線の三野瀬駅もあって人が集まって来る場所みたいです。
その為、ちょっと拓けた印象ですね。

歩いて来た峠道の方向を振り返ります

三野瀬駅も無人駅
この三野瀬駅あたりが熊野古道伊勢路の全行程170kmのちょうど中間点になります。
まだまだ先は長い…と思っていた熊野古道歩きも、いよいよ後半戦突入で、ひと区切りです(^^♪

国道に出ました しばらく海側の歩道を歩きます

三浦の海岸は深い入江の奥なので、波も穏やか
三浦も元は漁村だった様で、浜には漁港もあるのですが、こちらは“釣り船”が漁業の主体みたいで、他府県ナンバーのクルマがたくさん停まっています。
国道沿いにはそうした船頭さんが経営してるのか、新鮮な海産物を食べさせる店もたくさん有ります。

浜の西の端にある始神さくら広場

ここで国道を離れて始神峠に向かいます
三浦の西の外れには『始神さくら広場』という公園施設があります。
南紀とはいえこの日の桜はまだ五分咲き程度で、花見客もチラホラ程度でしたが、この公園の脇からこの日三つ目で最大の難所:始神峠(はじかみとうげ)が始まります。
以下、次回へつづく
農作業の合間に3月中旬から始めた庭のレンガ敷き。
広くはない庭ですが肥料袋に50杯の土を掻き出して、レンガやコンクリ資材を運んでかなりの重労働でしたが、やっと完成が近づいてきました。

俄かレンガ職人もまた大変です(^^;