熊野古道歩きも紀州に入り、これからは熊野灘の海岸沿いに歩きます。
この日歩いたのは紀伊長島から船津駅までの18.5㎞です。
 
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今回は紀伊長島の町役場にクルマを停めて、古道歩きをSTARTします
 
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長島橋北詰め 熊野古道としては此処からがSTARTですね
前方の山は紀伊長島城址で、戦国末期の北畠氏の城ですが、信長の侵攻で廃城となりました
 
 
 気候くなってきて日照時間も伸びたので、ずいぶんと頑張りましたが、今までの単調な景色と比べて、全コースの中でも屈指の海と山が織成す風光明媚な区間でもあり、観るもの
も多かったので、分割してUPします。
 
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まずは紀伊長島をスタートして、一石峠を越えて古里に至る区間です。
 
 
【魚まち】
 漁業んな紀伊長島で、古くから漁港として栄えたのが“魚まち”、文字通り漁師の家々が軒を連ねる漁師町です。
 
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橋の向こうは“魚まち”地区で、漁業関係者が集まる古くからの漁師町です
 
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町内は人通りも少ない鄙びた雰囲気ですが、漁師町の割には道幅も広くゆったりしています
 
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しかし、背後の山の迫り具合は迫力モノですね(^^;
 
 
 漁師町といえば細い路地と坂道を連想しますが、ここは埋め立てで拡がって来た町で、道路や家の敷地も幾分か余裕を感じます。
 埋め立てするたびに外側には道路が造られたため、この町には何本もの道路が並走しています。
 熊野古道はそのうち一番古い、山裾の道を通っていますが、“昭和の街並み はレトロ感たっぷりですね。
 
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路傍にあった青面金剛童子像 街道沿いにこうゆう仏様(明王)が座してるのは珍しいですが、庚申信仰によるものらしい
 
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左側のちょっとレトロな建物は濱口熊嶽別邸の遺構 ちょっと聞かない名前だとおもいますが、三重では有名な英傑(だそうです)
 
 
 この魚まちの景観や人情は文人にも愛された様で、昭和の文豪:佐藤春夫さんは作品の中に『かういふ場所では 海や山も 天然の姿を保ってゐるし、人間の生活や性情も 古い風を失はないでゐるものである…』と書き遺しています。
 
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近郷の漁師の信仰を集める長島神社 6月に行なわれる祭禮の『舟だんじり』は勇壮です
 
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樹齢800~1000年と言われる神木の大クスが社歴を物語っていますね
 
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城山の下を抜け行く歩道トンネルがありました この半端ない距離は…珍しいですね

 
 “海の民”のこうした生活感にふれると、“山の民”としてどうしても気になってしまうのが“津波”の事。
あの震災以来、この人たちは何処へ逃げるんだろう?』…という目線が常に付き纏います(^^;
しかし、安心してください、避難場所は着々と確保されている様でした。
 
 
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路地から山の上まで整備された階段 いざとなれば海抜120mまで避難できます
 
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近場の地震で避難路が崩壊した時の為か、高い建物の屋上まで頑丈な外階段が造られていました
 
 
【加田】
 魚まちを抜けると古道は国道に合流し、側道を1kmほど歩きます。
しかし、海沿いのこの道は景色も良くて、気持ちよく歩ける格好の散歩道ですね。
 
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入江の入り口に架かる江の浦橋 手前の橋は奇妙な形ですが、舟が通る時は橋桁がエレベーションするんです
 
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おかげで入江の最深部にある造船所も安心して操業できます こっちが先だったのかな?

 
 江の浦湾という入江の最奥部が加田の集落で、ここからしばらく山間部を歩きます。
踏切があって、北の谷間から合流して来る細道がありますが、実はこの道こそが本来の熊野古道なんだそうです。
 前回、ツヅラト峠越えをした時は、峠を下りると真っすぐ南下して、紀伊長島に出ました(案内図や標識もそうなっていた)が、江戸以前の古道:ツヅラト道は峠を下りた志子奥から赤羽川を西に遡上し、島地峠を越えて此処に出て来ていた訳ですね。
 
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山越えで北の内陸へ続く“島地道” まさか、これがね…
 
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合流点にある石仏の開設を読んで初めて知りました(^^;
 
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赤羽川の河口は渡し船で渡って、船賃は三途の川と同じ6文だったそうです 一升の米が買える値段ですから、島地峠を廻りますわね、普通。
 
 
 『今さら言われても…(*_*;』 ですが、紀伊長島に誘引している理由は、圧倒的な交通の利便性、観光客の安全を考慮しての事なんでしょう。
しは商店会の意向もあるかも知れませんが(^^; 
 
 
 
【一石峠】
 加田を過ぎ、古道は国道沿いの土産物屋の脇を左に入って峠越えへと向かいます。
 
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国道を離れます 此処はちょっと案内が小さく見逃しそう。 ガイド本では此処に無料休憩所&トイレが有る筈なんですが、閉鎖されていました。 利用者が少ないんでしょうね。
 
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道はすぐに地道になり、入り口にお地蔵さんが居ましたが、夏は暑そう。小さな笠を持ってくれば良かった。
 
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この道は雨が降ると水路も兼ねるみたいで、ずいぶん荒れています
 
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ちょっとだけ登り坂もありますが…
 
 
 この峠は一石峠と言って、峠とっても比高差は100m満たない高さですから、難なく越えられる為か、昔は一石坂と呼ばれていたらしく、江戸末期の巡礼者で下総住人の神戸由左衛門の道中日記に一石坂という峠あり…』と記されているそうです。
一石の由来については、ちょっと判りませんでした。
 
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すぐに峠の切通しがやって来ます
 
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右:くまの道、左:いせ道 頂上に分岐があり、此処から伊勢方面(南廻り)にも行けた様です
 
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下りも4WDの軽トラなら走れそうな良い道です これは“明治道”と呼ばれる、明治期に整備されて荷車仕様の道ですね
 
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地道はすぐに舗装路に合流します ゲートが閉まっていますが、ゲート横を通り抜ける様にパンフにも書いてあります(^^;
 
 
【古里】
 一石峠を下り、海岸に出たところが“古里” の集落です。
 
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みかん畑の向こうに古里の集落と海が見えました こんな風に写真の色がきちんと出てくれる事が、春の喜びでもあります
 
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古里の地蔵さんは屋根も有って大切にお世話されていますね(^^;
 
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沿道の手作り看板 昔はミカン園でしたが、今は民宿です

 
 ここには昔何度か利用した事のある海水浴場があって、アクセスの便は悪いのですが、その分混まないし、砂利浜で海が濁らないので“隠れた穴場”でした。 懐かしい場所です(^^;
 
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懐かしの古里海岸海水浴場です(^^♪
 
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昭和50年代の昔の活気は見る影もありませんが、海は格段に綺麗になっています
 
 
 現代は海水浴というレジャーは流行らなくて、“みかん農家”以外に産業も無い場所だけに、急激に寂れているのではと懸念していましたが、新たに日帰り温泉施設が出来て、民家は新たに民宿を多く経営していて、観光立町としての質の脱皮を図っていました。
逞しいですね。
 
 
次は古里から三浦峠を越え、三浦海岸までをUPします
つづく