熊野古道歩き、11月は三瀬谷から阿曽まで13kmを歩きました。
今回はその前半の瀧原宮までの道のりです。
 
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伊勢自動車道 松阪あたりの風景 南伊勢地方は紅葉にはまだまだ早い様です
 
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 現在の熊野街道(R42)は宮川を渡ると支流の大内山川沿いに一気に南下しますが、熊野古道は対岸に渡ると東に大きく迂回(県道474)して、わざわざ三瀬坂峠を越えてから国道に合流しています。
 
 地図上で見ると“無駄な遠回り”りにしか見えないのですが、その理由は、古来の熊野古道は定峠を越えて下三瀬に入ると、渡し船で宮川を渡って、三瀬坂峠を越えていました。
 つまり、三瀬谷まで行って舟木橋を渡り、元の渡し場まで戻るルートは厳密には熊野古道ではなく、渡し船が無くなった故の代替ルートなんです。
 
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今回も『道の駅:奥伊勢おおだい』裏の観光駐車場を拠点にしました
 
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道の駅で弁当を仕入れてスタート。 国道沿いの最初の信号で旧道へと逸れて行きます
 
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50年前まではこの道が国道42号線だった様です
 
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宮川を渡る“舟木橋” 明治37年の架橋で、当時としてはとても立派な橋です。 右隣の国道橋:舟木大橋は昭和49年架橋だそうですから、70年近く国道橋だった訳ですね。 現在は県指定の文化財です。
 
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橋上から見下ろす宮川上流の清流 右手が宮川で、大台ケ原の大杉谷から流れて来ます。 熊野古道(街道)は左手の支流:大内山川に沿って南へ進みます。
 
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同じく宮川下流の様子 この辺りの宮川は川幅の狭い渓谷になっていて、深い淵の状態が続きます。 雨が降ると水嵩が一気に増すので、江戸時代以前は架橋が難しくて、渡し船が必須だった様ですね。
三瀬坂峠は前方の山の向こう側です。
 
 
 舟木橋を渡って、宮川右岸の県道を三瀬坂峠の入り口目指して歩いて行きます。
この道も宮川に沿って伊勢につながる道ですから、流域の生活圏を支える主要道路で立派な道なのですが、過疎の波で廃屋や耕作放棄地が目立ちますね。
 
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県道474は広くて良い道が整備されていますが…通り過ぎるクルマはほとんど有りません。
 
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下には宮川の水面が見えています
 
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通り掛かる集落にも空き家や朽ちた廃屋が目立ちます。
 
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かつての人の生活の痕跡を見るのは複雑な心境ですね
 
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集落を跨いで行く橋は紀勢自動車道で、現在は熊野まで繋がっていますが、過疎対策にはなりません
 
 
 三瀬川集落に入ると、左手に“多岐原神社”へと降りていく道が有ります。
多岐原神社は瀧原神宮と同時に置かれた“皇大神宮摂社”で、その先に“三瀬の渡し跡”もあるので、寄り道して行きます。
 
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県道から左に折れて、河原方向へ降りて行く多岐原神社参道
 
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道はさらに分岐して細道になりますが、この道が本来の熊野古道なのです
 
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多岐原神社社殿 規模は小さいけど、由緒のある古い神社なのです…
 
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その由緒を記した看板は、少女漫画風でした(^^;
 
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神社前の道をさらに下って行くと…
 
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三瀬の渡し跡です 僅か50mほどの川幅ですが…
 
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深い淵になっているので、舟なしで渡るのは無理だったのでしょうね。

 
 県道に戻って、次は熊野古道歩きで2箇所目の峠『三瀬坂峠』の踏破です。
この峠は比高差200m、行程2km余りの比較的軽い峠道ですが、此処も8月の台風でひどく荒れていて、足元は要注意でした。
 それでも、杉の林間ルートは木の手入れも行き届いていて、地域の産業としての林業はまだ健在な様です。
 
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多岐原神社から上がってきて、数百mで峠の入り口があります
 
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峠への道は民家の間を抜けて行きますが…
 
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すぐに細道へと変わります
 
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さらに舗装路が終わって地道に変わると…
 
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急な登りはこんな感じ(*_*;
 
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しかし見上げる杉木立は高いところまで枝が払われて、真っ直ぐな良質の杉材が天に向かって伸びています。 これはこれで、見応えの有る風景です。
 
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入口から僅か20分ほどで峠の頂上に到着しました(^^♪
 
 簡単に登れた三瀬坂峠ですが、昔はかなりな難所だった様で、行き倒れる人も多くて、峠の両側の中腹に茶屋が設けられ、旅人達は休みながら登ったそうです。
 
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頂上にある石仏は宝暦6年(1756)に見瀬川村の吉田作左衛門(庄屋さん?)が建立したもので、旅人の安全を見守ってきました。
 
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石仏の傍にある殉難者の供養碑 平田平助さんは山口長府の人で、明治9年に此処で亡くなりました。
 
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西側の下り道には石積みの防壁も残ります。 これはイノシシ除けか?
 
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所々に鉄砲水の爪痕があり、かなり荒れていますね
 
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それでも三瀬坂池の脇に出てくると道は平坦になり…
 
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あっという間に国道に出ました

 
 出て来たのは瀧原里地内で、ここから瀧原宮までの熊野古道は、平坦地の民家を縫う様に旧街道らしい長閑な道が続いています。
 
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国道の側道から、信号も横断歩道も無い場所を押し渡って右手の古道に入って行きます
 
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古そうな石垣の家 庭にはさりげなく祠があったりします
 
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旧街道らしい趣きですね
 
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また信号で国道を横切ると…
 
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前方には瀧原宮の杜が見えてきました。
 
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巨大な杉の古木が林立する、荘厳な雰囲気の杜ですね。
 
 
その8 瀧原~阿曽 につづく