3日目の後半は現在の国道42号線を歩く比率が増えて、少し単調な景色になりがちですが、それも“街道歩き”の一面でもあります。
 
イメージ 1

 
 川添集落から粟生集落にかけては、宮川流域の中でも最も広い谷間の地域であり、のどかな田園風景が広がっています。
巡礼の旅人ではなく、地域の里人の生活の場だったエリアですね。
 
イメージ 3
川添の辺りは谷間が広く、穀倉地帯です
 
イメージ 2
路傍に隣り合わせて在った天王さんと庚申さん
 
イメージ 4
旧街道に添って集落が続きます
 
イメージ 5
各集落に必ずと言って良いほど在る八柱神社 休憩の木陰を作ってくれています
 
イメージ 6
沿道の古民家を活用したギャラリー コーヒーブレイクの誘惑を振り払って先を急ぎます
 
イメージ 7
ゴールまで134kmという事は、ここまで歩いた距離は36kmです(^-^;
 
 
 国道を歩く高奈~下三瀬の間は女鬼峠に続く2つ目の峠『定(さだ)峠』を越えるエリアです。
 しかし、この定峠自体が比高差はあまり無く、クルマの往来も多い国道を歩く…事から、ダラダラの直線路を登る感覚で、“峠越え感”はありません。
定峠の頂上からは旧道(古道)が分岐していて、下りは街道歩きを楽しめます。
 
イメージ 8
国道に出たところに地蔵さんがありました
 
イメージ 9
ここからは国道の歩道を2km余り歩きます おや?あれは?
 
イメージ 10
右手に見えて来た“お城風”の建物は、宗教法人の道場でした
 
イメージ 11
紀勢高速道路の下を潜ります 開通してまだ間もない道路ですが、国道沿いの店舗の閉鎖が目立ちます
 
イメージ 12
路傍のお地蔵さんの前で小休止 石の祠に入った地蔵さんも珍しい…
 
イメージ 13
その前にある“弁慶岩”は紀州から旅して来た武蔵坊弁慶が腰かけて疲れを癒した石だそうです
 
イメージ 14
国道の定峠頂上付近から、旧道は右に分岐して林間に入りました
 
 
 坂道を下り切ると下三瀬の集落に入ります。
下三瀬は古来からこの地域の中心地であり、支配者であった三瀬氏の居城跡(三瀬砦)もあります。
 三瀬氏は室町時代から伊勢国司:北畠氏に仕えた豪族であり、6月初旬にUPした『北畠具教の最期』の舞台となった“三瀬館”があったのも、この下三瀬でした。
 
イメージ 15
旧道はまた国道を横断して、下三瀬の集落に入ります
 
イメージ 16
すると左手に現れた砦跡の看板 この日も終盤で疲れが出始めた頃、こうゆうのが有ると新たなパワーが生まれます
 
イメージ 17
砦と称しながら、土塁で囲まれた本格的な構造です
 
イメージ 18
城郭体系では“下三瀬城”となっていますが、砦に改称したのは規模感ゆえか?
東側の田地は家臣屋敷跡と言われています。
 
イメージ 19
城主は三瀬左京祐と言い、北畠氏滅亡後は秀吉に仕え、大坂の陣で戦死しました。
 
イメージ 20
街道を今少し進むと、大谷不動明王の社があります
 
イメージ 21
境内からは不動滝が良く見えました
 
 
 下三瀬を通り過ぎて国道を渡ると、佐原の集落に入って行きます。
ここは近代の集落で、厳密には熊野古道を通り過ぎた場所である為、遺跡などはありませんが、現代の中心である大台町役場があり、今日の目的地の三瀬谷駅もあります。
 
イメージ 22
佐原の集落は熊野古道ではないのですが…
 
イメージ 23
三瀬谷駅を中心に町役場やショッピングセンターなどが集まる場所です
 
イメージ 24
道の駅も高速開通後の割には賑わっています
 
イメージ 25
隣接する町営の観光駐車場(無料)で愛車が待っていました
 
 
 宮川はこの先は紀伊山地の最深部へと入って行き、大杉谷を経て大台ヶ原へと続きます。
 
 
ここまで歩きました。
イメージ 26