3日目の後半は現在の国道42号線を歩く比率が増えて、少し単調な景色になりがちですが、それも“街道歩き”の一面でもあります。

川添集落から粟生集落にかけては、宮川流域の中でも最も広い谷間の地域であり、のどかな田園風景が広がっています。
巡礼の旅人ではなく、地域の里人の生活の場だったエリアですね。






国道を歩く高奈~下三瀬の間は女鬼峠に続く2つ目の峠『定(さだ)峠』を越えるエリアです。
しかし、この定峠自体が比高差はあまり無く、クルマの往来も多い国道を歩く…事から、ダラダラの直線路を登る感覚で、“峠越え感”はありません。
定峠の頂上からは旧道(古道)が分岐していて、下りは街道歩きを楽しめます。







坂道を下り切ると下三瀬の集落に入ります。
下三瀬は古来からこの地域の中心地であり、支配者であった三瀬氏の居城跡(三瀬砦)もあります。
三瀬氏は室町時代から伊勢国司:北畠氏に仕えた豪族であり、6月初旬にUPした『北畠具教の最期』の舞台となった“三瀬館”があったのも、この下三瀬でした。




東側の田地は家臣屋敷跡と言われています。



下三瀬を通り過ぎて国道を渡ると、佐原の集落に入って行きます。
ここは近代の集落で、厳密には熊野古道を通り過ぎた場所である為、遺跡などはありませんが、現代の中心である大台町役場があり、今日の目的地の三瀬谷駅もあります。




宮川はこの先は紀伊山地の最深部へと入って行き、大杉谷を経て大台ヶ原へと続きます。
ここまで歩きました。
