熊野古道歩き、5月26日初日の後半です。
お伊勢さんの外宮に参拝して、参宮街道の分岐点である田丸まで歩きます。


近年の伊勢神宮参拝客は、観光を目的として内宮のみ訪れるのが一般的で、外宮周辺は“寂れた感”があったのですが、外宮周辺も整備が進んで来ました
そうかと思えばこんなレトロな旅館も健在です
伊勢神宮の正式名称は『神宮』なんだそうです。
伊勢にあるから通称で“伊勢神宮”と呼ぶものの、神のおわす宮はこの神宮ただ一つで、全ての神社の上に位置する特別な神社として神聖化されて来ました。
では、内宮と外宮との違いですが、
内宮は太陽神である天照大御神を祀る皇大神宮
外宮は衣食住の豊穣を司る豊受大御神を祀る豊受大神宮
となっています。
皇大神宮はご存知の様に皇室の氏神様でもありますから、客層(失礼)も漠然とした繁栄や安寧を願う参拝客なのに対し、豊受大神宮はより現実的な“商売繁盛”などを願う参拝客が多い…と、分ける事ができますね。

外宮に入って行きます。 参拝者は内宮の2割程度か?

こちらも用地が二つあり、式年遷宮が行われます。 現在は奥の用地に社殿が建っています。

人混みに揉まれず、ゆっくり参拝できました。 これで熊野古道道中の衣食住は安心です(^-^;
伊勢神宮外宮を後にして、伊勢市街を西へ進みます。
この道は通称『参宮街道』と呼ばれ、西日本の各地から伊勢へと向かう街道が、この先の田丸で一つに集まって、一本の複合街道として続いていました。









宮川を渡ると、田園風景の中の道が延々と続きます…

この区間は変化が無いので、ちょっと長く感じてしまいます

この古い石垣は何の為のものでしょうね? 不思議です。
かつての名所で、廃れてしまった所も多い様です。


田丸城は南北朝期に南朝の北畠親房が築いた平山城で、北畠氏の支族が入って田丸氏を称し、近郷を統治しました。
小牧長久手の戦いの後、松ヶ島城には蒲生氏郷が配され、田丸氏もその与力となったため、氏郷の会津移封に従って去る事になります。
田丸領は藤堂高虎の所領になって、安濃津城の支城となりましたが、江戸時代に入り、紀州藩に徳川頼宜が配されるにあたり、南伊勢の藤堂領は大半が紀州領に変えられ(高虎には代替地として大和、南山城の山間部が与えられる)、田丸城には付家老久野氏が入って田丸領6万石を統治しました。
同様に松阪城にも城代が入って城が残ったので、“一国一城”と言えども伊勢国には安濃津城、桑名城、神戸城、亀山城、松坂城、そして田丸城の6城が存在したのです。
そんな訳で、田丸の街には参宮街道の宿場として、田丸城の城下町としての痕跡が遺ります。




ここ田丸で参宮街道は伊勢本街道、初瀬街道、紀州街道などに分かれます。


次からはいよいよオリジナルの熊野街道(紀州街道)に入って行き、熊野を目指す事になります。
つづく
これだけ歩きました(^-^;
