関氏5家の城 三重県 正法寺山荘 登城日2015.02.28

亀山の関宗家の山荘跡と言われる“正法寺山荘”を訪ねました。
正法寺は1504年頃に亀山の領主:関盛貞が創建した寺と言われ、寺と別荘を兼ねたこの山荘では、京から連歌師などを招いて、歌会や茶の湯をたのしむ“風流の場所”として主に使われた様です。

復元整備された山荘跡には芝と桜が植えられ、4月には賑わいます

鈴鹿川支流の小野川が刻む深い渓谷に守られる様に遺構があり、『国の史跡』に指定された遺構はよく整備されていて、四月の中旬には桜の名所としても有名です。

遺構の中には僅かながら墓石もあります
しかし、この山荘は、別荘でも寺院でもなく、普通に支城の一つだった様で、整備された遺構周辺の山中に分け入ってみれば、手付かずの城郭遺構が随所に眠っています。

山荘を守る下段の郭に積まれた石垣 山林に埋もれ冬場でないと近づけません

西側に備える土塁と空堀跡

山荘の裏山の尾根にある堀跡と土橋

裏山の頂上付近の物見台遺構

川へ向かう急な竪堀

城域北端の尾根を遮断する、大規模な堀切
城の裏山は特に厳重な郭塁で覆われていて、そこは尾根伝いに鈴鹿山脈の高山へと続いていて、関盛貞は尾張勢に対する関一族の最終的な拠点と考えていたのかも知れませんね。

小野川の渓谷と羽黒山 山荘は右の山裾にあります
*羽黒山
平泉から源義経について来た佐藤忠継の臣が怪我で逃避行に脱落してこの地に住み、故郷の羽黒山を想って名付けた…と言われます