関氏5家の城を歩く
  伊勢亀山城を訪ねて、戦国期の亀山城(若山城)が関氏の創建である事を述べました。
鎌倉幕府の御家人だった関氏は亀山城を本拠に、戦国末期の織田信長の侵攻までこの地を支配した国人領主で、三郡(現在の鈴鹿市、亀山市のと四日市市の一部)にまたがる領地には幾つもの支城を配していました。
今回はその代表的な城址を歩いて見ます。
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  関氏6代目の盛政は正平22年(1367年)、領地を5人の子に分割して相続させます。
  長男 盛澄 沢城(のち神戸城) ⇒ 神戸氏
  二男 盛門 国府城 ⇒ 国府氏
  三男 盛繁 亀山城 ⇒ 宗家:関氏
  四男 盛宗 鹿伏兎城 ⇒ 鹿伏兎氏
  五男 政実 峯城 ⇒ 峯氏
 
、関氏5家は宗家の関氏を中心に一致団結して戦国の争乱を戦い抜き接する六角氏、北畠氏などから領地を守ります。
 
 亀山城は前回のブログで紹介したので、残りの4城を訪ねます。
最初は鹿伏兎城です
 
 
  関氏の城  三重県    鹿伏兎城          登城日 2015.02.21

 

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  築城年    正平22(1367)
  城主      関盛宗
  形態      山城
  廃城年    天正11(1583)
  遺構      土塁、井戸、石垣
  史跡指定   県史跡
  所在地    三重県亀山市加太市場
 
 
  鹿伏兎のアプローチはJR関西線の加太駅を起点にします。
鹿伏兎氏(盛宗)に与えられた領地は、西の端の深い山間の谷間でした。
この谷には“大和街道”が走り、接する強大勢力の六角氏や北畠氏が進攻するには恰好なルートとなる訳で、要衝の地だった様です。
  現在は過疎対策に懸命な寒村の風情ですが、豊かな森と適度な傾斜地が続く環境は、戦国期の水を利した農耕と薪炭の調達に至便であり、現在の数倍の人が暮らしていた事でしょうね。
 
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鹿伏兎城址の谷山を背に立つ“神福寺”
 
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鹿伏兎氏の菩提寺です