赤木城の続きです…
さっそく登って行きます。
駐車場からのルートが大手道だった様で、石畳状の痕跡も僅かに残っています。
すぐに東郭の石垣が迫り、郭内には左折して入る形で虎口が開いています。
四脚門の礎石が見られ、ここが大手門だったのでしょうね。 だとすれば、東郭は馬出し機能の可能性が高く、たぶん建物の無い広場だった事でしょう。

東郭の虎口 手前の石垣は失われていますが、四脚門の立派な虎口です
東郭を北に緩く登ると、最高地点の主郭の石垣です。
主郭虎口に至る構造がユニークで、主郭下から土塁がせり出していて、土塁の内側に木の階段が設えてあります。
おそらく、ここには門機能の建物があり、内部で主郭下と繫がっていたのではないかと思われます。
主郭の石垣自体は四隅で4m程と、そう高くはないのですが、その分周囲を帯曲輪が巻いていて、直接侵入できない様に強化されています。

東郭から主郭にかけては複雑な石垣構造ですが、豪壮さと優美さを試した跡を感じますね
石垣はほぼ無加工の自然石を乱積みしている様に見えるのですが、スキマには小石をしっかり打ち込んだ“打ち込み接ぎ”です。
更に角石はかなりな巨石を算木積みしてあり、横矢が掛かる複雑な造形を成しています。
藤堂高虎が自身の為に積んだ石垣ですから、仕上げの美しさより、時間と費用にこだわった、雑な感じにも見えますが、機能と技術は当時最新のモノが注入されていたと思われます。
少し粗雑さが感じられる方が、最前線で敵と対峙した城の凄味が伝わって来て、迫力ありますからね。

主郭の虎口
主郭の虎口は櫓台?の石垣に隣り合わせて小さな枡形になり、6個の礎石が見られます。 たぶん櫓形状の建物に組み込まれて、内部で屈曲し郭上へ登って行ったのでしょう。
主郭の上は200坪ほどの平地で、礎石の石もありますが、ランダムに点在している感じで、どんな建物が在ったかは難しい所です。
時代と機能から推測すれば、櫓門+陣小屋+物見櫓…という所か。
主郭の北側は尾根続きになって緩やかに下がっており、城の弱点としてはこの方向かな?
こちらは土塁構造の北郭があり、守りを固めています。
もちろん尾根筋は深い堀切で遮断され、関東で見慣れた構造ですね。

関東で見慣れた堀切