関東の城探訪    群馬県 小泉城     登城日2014.10.26
 
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 城郭構造      平城
 天守構造      なし
 築城主     富岡主税介直光
 築城年     延徳元年(1489)
 主な城主      富岡氏
 廃城年         ?
 遺構      土塁、堀
 指定文化財       なし
 所在地     群馬県邑楽郡大泉町
 
 
 桐生を南下すると足尾山地と渡良瀬川は栃木県に入ります。
次の群馬の城は関東平野に入って行って、大泉町の小泉城を目指します。
 
 室町中期、結城合戦に敗れた結城持朝の遺児:持光が後に古河公方:足利成氏から邑楽郡に所領を与えられ、築いた富岡城が後に小泉城と呼ばれる様になったそうです。
持光は富岡直光と改称し、この地を治めました。
 
 富岡氏はその後も古河公方の与党として働きますが、古河公方が没落し、上野の戦局が北条、上杉(謙信)、武田と外部の大勢力に翻弄される様になると、関東管領:上杉謙信に従います。
 
   相越同盟が成った後は、近隣の佐野氏、由良氏の圧力に対抗する為、北条氏に近付いて行き、北条氏の東上野支配に重要な役割を果たしました。
 この時期の国人には珍しい、北条一辺倒の律儀な行ないに、北条氏政は由良氏の領地の一部を与えるなど、優遇しています。
 
 天正十八年(1590)は小田原城に籠って迎え、留守の小泉城は浅野長政に囲まれ、降伏開城しました。
小泉城は廃城となり、富岡氏の将士は離散して他家に仕官し、その後を生きて行きます。
 
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小泉城を歩く
 戦国期には珍しい平城の小泉城です。
桐生からR50に出て、途中からR122に乗り換え、右手に由良氏が睨みを利かしてた(であろう)金山城を間近に見ながら、大泉町へと走ります。
 
 小泉城は大泉町の市街地のド真ん中にあって、城址公園として残っているそうですが、町の中の城址といえば、都内の世田谷城や石神井城の惨状を思い浮かべてしまうので、期待はほどほどに訪ねてみます。
 
 
 ところで、小泉城で、小泉という地名なのになんで大泉町なのか… 気になりませんか?
ここは古くから邑楽郡小泉村で、明治35年には小泉町に昇格しましたが、昭和32年、大川村と合併した時に、川村、小泉町で大泉町になった様です。
 昭和32年のその瞬間だけ切り取れば良い選択にも聞こえるだろうけど、過去何百年もの通名を葬り去る事なんで、こうゆう町名の付け方って、どうなんかなぁ?
『みどり市』や『さくら市』みたいな、それドコやねん!的な命名よりはマシだけど…。
 
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公園入り口です
   
 さて、そんな事を考えながら、小泉城址の『城之内公園』に着きました。
広い駐車場もほぼ満杯で、さすが街中の城址です。
 
 馬出し跡の駐車場の脇はすぐ内堀の水堀で、本丸土塁がその中にあります。
虎口の橋の袂にポストがあり、城の縄張り図と由来を解説したパンフが置いてあり、自由に貰えます。
こうゆう対応はそれなりに整備してないと“天唾”になってしまうので、期待できるかも。
 
 本丸内に入って行きます。
中は周囲を高さ2mほどの土塁が巡る、芝生の庭が広がっています。
野球場には少し狭いけど、2千坪はありそうで、近隣の人達が思い思いに散歩したり、タープを張ってのんびり寛ぐ家族も見られます。
うん、良い使われ方ですねぇ。
 
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本丸内は芝生広場で、誰でも自由に使えます
  
 土塁上に登ってグルリ一周して見ます。
壇上は十分に武者走りの幅があり、四隅には櫓台らしき広さも確保されています。
土塁の水堀に接する基壇の部分こそコンクリートブロックで補強されてはいますが、それも耐性工事のみで、縄張りの安易な変更や誇張は見られない、元の遺構通りの素晴らしい復元整備ですね。
 
 本丸から北の郭へ出た先にも、土塁が残っているので行って見ます。
こちらは外堀に面した土塁で、登って見ると内堀と同等の水堀があり、その先は東武小泉線の線路です。
 この部分は特に複雑な折れを持つ技巧的な箇所で、しっかり横矢が掛けられ、川船の船着き場的な入江構造もあり、なかなか見応えがあります。
 
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北郭の土塁と外堀 船着場?
  
 改めて縄張り図を見てみると、本丸と北郭、そして三ノ丸の一部が城址公園として保存され、他は学校になっていて、郭内の半分程度は残されている様ですね。
 
 堀幅は6~7mほどしか無くて、土塁の高さも4mほど。 さすがに戦国末期の鉄砲中心の戦いには耐えられない古い構造ですから、さらに外側にも郭が広がっていたのかもしれません。
 
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には鴨や鯉の餌やり場があって、小さな子供がお母さんと楽しそうに餌をやってました
 
  
 ただ、戦国末期の富岡氏は親北条路線で貫いています。 
北条氏にとっても上野の東毛を狙うにはうってつけの立地で、しかも兵站に優れた平城の小泉城は重要な城だった事でしょうから。
境を接する由良氏や佐野氏クラスが迂闊に手を出せないだけの兵力は常に駐屯させていたのかも知れませんね。
 
 小泉町駅から徒歩5分、交通の便も良いので、妄想族にはここもお奨めの城です。
思いがけず“良い城址”に巡り合えた満足感で次に向かいます。
 
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堀の水は流れがあって綺麗で鴨が集まっています
百名城じゃなくても、天守が無くても人が集まるって、こうゆう事なのかも