関東の城探訪 群馬県 長井坂城 登城日2014.10.04

城郭構造 崖端城
天守構造 なし
築城主 上杉謙信
築城年 1560年(永禄3年)
主な改修者 北条氏邦
主な城主 上杉氏、白井長尾氏、北条氏
廃城年 1590年?
遺構 土塁、空堀、馬出し 、旧沼田街道
指定文化財 群馬県史跡
天守構造 なし
築城主 上杉謙信
築城年 1560年(永禄3年)
主な改修者 北条氏邦
主な城主 上杉氏、白井長尾氏、北条氏
廃城年 1590年?
遺構 土塁、空堀、馬出し 、旧沼田街道
指定文化財 群馬県史跡
所在地 群馬県利根郡昭和村大字永井
長井坂城は沼田城の南6km、利根川東岸の崖の上にあります。
赤城山は西に向けて広大な裾野を構成していますが、その西の端は利根川の流れが刻んだ深い渓谷になっていて、その谷底を見下ろす“崖端”に城はあります。
赤城山は西に向けて広大な裾野を構成していますが、その西の端は利根川の流れが刻んだ深い渓谷になっていて、その谷底を見下ろす“崖端”に城はあります。
沼田から前橋方面に抜ける道は、今でこそR17が利根川に添って谷底を走っていますが、かつての道『沼田街道』は上の裾野の平坦な所を通っていて、この長井坂から標高差200mを一気に下って、沼田盆地の入口“川額”に至ります。

現在の幹線路国道17号線は谷底の利根川西岸を走りますが、沼田街道は台地の上を通っていました。
その標高差は200mです
この地に最初に目を付けたのは上杉謙信で、 1560年、上杉憲政の要請に応えた関東侵攻の際に、沼田氏と北条勢が籠る沼田城をパスしてここに布陣します。
予想に反し突然、退路を断たれた北条勢は慌てて吾妻に抜けて退却し、沼田氏も降伏を余儀なくされました。
予想に反し突然、退路を断たれた北条勢は慌てて吾妻に抜けて退却し、沼田氏も降伏を余儀なくされました。
謙信はその後の13回に及ぶ関東遠征の際には、その都度この陣所を使い、街道を抱き込む形で徐々に城塞の体を整えて行きました。
また北条氏も武田(真田)との沼田攻防にはこの長井坂城を前線基地として重用し、多くの兵を駐屯できる郭群の構築に一役買った様です。
また北条氏も武田(真田)との沼田攻防にはこの長井坂城を前線基地として重用し、多くの兵を駐屯できる郭群の構築に一役買った様です。

沼田方面を見る
北条の猪俣邦憲が鬼の形相で睨んでた風景です
僅か30年の寿命で、1590年、北条氏の滅亡と共に廃城となった様ですが、街道の急坂の上端にある城址は江戸時代も茶屋や旅籠、伝馬小屋などに活用されてた事でしょう。
ひょっとしたら関所もあったかもしれませんね。
今は外郭の多くが畑に開墾されていますが、主郭部分は杉林の中にひっそりと眠っていて、当時の概要を窺い知る手掛かりをたくさん残してくれています。
ひょっとしたら関所もあったかもしれませんね。
今は外郭の多くが畑に開墾されていますが、主郭部分は杉林の中にひっそりと眠っていて、当時の概要を窺い知る手掛かりをたくさん残してくれています。

旧街道は堀底道を兼ねています
長井坂城を歩く
赤城山麓の台地の先端に構えられた“長井坂城”、崖端城ですから、台地の上から行けば容易に辿り着けるのですが、城の堅固さを体感する為にここは敢えて崖下からアプローチしてみます。
赤城山麓の台地の先端に構えられた“長井坂城”、崖端城ですから、台地の上から行けば容易に辿り着けるのですが、城の堅固さを体感する為にここは敢えて崖下からアプローチしてみます。
沼田城からは県道269をまっすぐ南下、国道に出る手前で左折して片品川を渡り、県道255に入って南下します。
この交差点辺りから長井坂城の比較的目立つ看板が出ており、とても判りやすくなっていますよ。
3kmほどで斜め上への分岐があり、看板に添って入って行きます。
ここからは道も狭くなり、カーブも多いので、運転には注意が必要です。
500mほど行くと、関越道の高い高架橋が現れ、道も右下に分岐して行きます。
ここからは殆んど交通の無い狭い専用道で、道端の除草も十分でないので、クルマのスリ傷が気になる人にはお奨めできません。
ここからは道も狭くなり、カーブも多いので、運転には注意が必要です。
500mほど行くと、関越道の高い高架橋が現れ、道も右下に分岐して行きます。
ここからは殆んど交通の無い狭い専用道で、道端の除草も十分でないので、クルマのスリ傷が気になる人にはお奨めできません。

林間に土塁と堀が幾重にも続きます
郭内にかなりの兵力が駐屯できそうな広さです
ここから城名と同じで、九十九折れの長い坂を延々と登ります。
約10分で坂の上に登り切りますが、登り切った所に長井坂城→の小さな木柱があるので、見逃さない様に。
右後方に急角度に曲がる感じで、下からだと切り返しは必須です。
約10分で坂の上に登り切りますが、登り切った所に長井坂城→の小さな木柱があるので、見逃さない様に。
右後方に急角度に曲がる感じで、下からだと切り返しは必須です。
ここはもう三ノ丸の郭内ですが、一帯にコンニャク畑が広がる農地なので、道は農道。轍が深いので、クルマの腹はガリガリ行きますw
100mほど行くと駐車場があり、4~5台は停められます、もちろん貸切りですけど。
駐車場の脇はもう二ノ丸からの馬出しがあり、三ノ丸との間の空堀は堀底道が沼田街道を兼ねている様です。
樹林に分け入って、郭の登ってみます。 土塁はよく残ってて、郭の範囲などは大体はつかめるのですが、森の中だとそれが城全体のどの位置で、どう有効に作用していたのか…などは判りにくいので、縄張り図を持参した方がいいですね。

谷側には天然の竪堀が大きく口を開けています
西側の谷沿いに木柵があり、歩道になっているので、それを歩いて奥に入って行きます。
空堀を間にはさんで土塁に囲まれた郭が3つ、階段状に続いて、またコンニャク畑に出ます。
この先は台地上の郭外で、耕作地が緩やに赤城山に向かって登っています。
勘違いしやすいけど、崖端城の場合は主郭に向けて下って行く場合が多いんですよねw
こういう場合、一番外側には広く深い堀が掘られ、その土を内側に積み上げた高い土塁になるんだけど、崩して畑にしてしまったかな…。
こういう場合、一番外側には広く深い堀が掘られ、その土を内側に積み上げた高い土塁になるんだけど、崩して畑にしてしまったかな…。

沼田街道と同じく城の中を通り抜ける関越道 こちらはトンネルで潜ります