岡の城は誰が造ったか? 埼玉県 難波田城 登城日2014.06.22
岡の城シリーズの続きです
豊島氏と太田道灌が南武蔵で激しく争った『長尾景春の乱』。
岡の城を囲む勢力としては他に山内上杉氏配下の大石氏がありましたが、大石氏一族の中には長尾景春に与する者も多くて、内輪もめに忙しく、関わる余裕は無かった様です。
荒川下流の西岸で、もうひとつ領地を接する氏族があります。 柏の城の北2kmほどに居城を持つ難波田(なんばた)氏がそれで、扇谷上杉氏の重臣でした。
居城の“難波田城跡“は埼玉県富士見市の田園の中にあり、一部分ですが市が整備している様なので、行って見ます。

復興:大手門
門前は県道が走り、かつての武家屋敷街はすっかり田園風景です

城址最奥の角馬出し
この奥に本曲輪があった(後ろの住宅あたり)

川に囲まれた平地らしく、水堀を多用した水城です 土塁は低い

復元模型
忍城や岩付城の小型版的な造り

西半分は江戸~明治期の古民家が移築されてて、二つの時代に触れ合える

蓮と睡蓮がたくさん咲いています
城址とはいうものの、やはり現代の工法で整備されており、水に囲まれた気持ちの良い“公園”そのものでした。
城の構造自体も小ぶりで、小豪族の館的な風情が強く、戦いの緊迫感を感じません。
難波田氏はこの時期は武蔵松山城の城代になっていて、南部は太田道灌に一任状態。
領地と居城を使った争乱には加わらなかったと思われます。