岡の城は誰が造ったか? 埼玉県 柏の城        登城日2014.06.14
 
 先日、岡の城をアップしましたが、誰が造ってどう使ったか…についての追加調査です。
 
 岡の城の構造や規模からして、北条以前の城には間違いありませんが、その時代の地域の背景から探ってみます。
戦国前期にこの地域であった大きな争乱といえば、『長尾景春の乱』です。 上杉家の内乱ですが、古河公方や地域の豪族を巻き込んだ、関東を二分する争いに発展しました。
 南関東では景春に呼応した“豊島一族”と、扇谷上杉の“太田道灌”が激しく戦います。
 
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1477年頃の南武蔵
23区北部は豊島氏一族が、都下と埼玉南部は大石氏が支配していましたが、豊島氏背後の江戸に太田道灌が築城し、激しく争います
 
 上図様に、双方が城を構えていました。
これらの城をひとつずつ見て、岡の城との共通性などを探って見ます。
 
 
 まず最初に訪れたのは、大石氏の柏の城。
滝の城については、明らかに北条氏の手が加えられてますが “○○の城“つながりで共通点が見れるでしょうか?
 
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柳瀬川の流れが湾曲する低台地に造られた平城
 
  柏の城は東武東上線の柳瀬川駅の北、川沿いにある“志木中学”がその跡地です。
開発が進んでいて、明らかにそれと判る遺構は全くありませんが、土地の高低を頼りにその姿を探します。
 
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学校の東側
敷地と道路の間には僅かながら段差がある 
  
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北側の川沿いはやや高い段差 この上が主郭か?
 
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西側の住宅地にある水路
段差があり堀の跡かと思うが、違うらしい
 
 敷地の主郭に学校があり、南の二ノ丸にも集合住宅があります。 
これだけ大きな建物を建て、グランドを整備すると、物凄い地盤の改修になるから、何も無いのは当然といえば当然かも。
 
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唯一ある、具体的な遺構看板
なんともアバウトな図で、位置関係もよく判りません
 
こういう時の頼りは、罰を怖れて大きく改変されない神社仏閣です。
南の大手側に“氷川神社”があります。
 
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雰囲気のある神社です
 
 創建時から城外だった様で、遺構らしきものは発見できませんでした。
 都市部(でもないんだが…)の城址の哀しさか、城の姿を妄想できず、最初からつまずきました。