関東の城探訪  埼玉県  杉山城          登城日 2013.03.17
 
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所在地     埼玉県比企郡嵐山町
城郭構造    梯郭式山城
通称        初雁城
築城年      室町時代初期?
築城主      金子主水?
主な改修者   山内上杉氏?
主な城主     山内上杉氏?
廃城年      戦国初期?
遺構        曲輪、土塁ほか
文化財指定   国の史跡
 
  最後はいよいよ杉山城、流れでやって来てしまいました。
 
 このブログをご覧くださる方々には敢えて説明する必要はないかも知れませんが、“中世城郭の教科書”と呼ばれている著名な城で、ありとあらゆる防御の技術が駆使されています。
 しかしそのスペックは前述の様に、???だらけの謎の城で、専門家の学者さんの間でも意見が分かれており、素人にはメチャクチャ難しい城でもあります。
 
 杉山城は以前はその高度な技術から、北条氏が造った…と思われて来ましたが、発掘調査の結果、出土品の年代測定から、山内上杉氏のものではないか…という説が有力視されています。
 
 事実、北条の合戦にその名を見ないし、技術はともかく、戦国の実戦的城塞として見た時、遺構の規模に物足りなさを感じます。
 廃城時期も明確でなく、トレンチの結果でも短期間の寿命を示す結果が出てる様です。
 こうした難しい城を素人マニアがあーだこーだ言うのも憚られますが、見た事感じた事をそのまま書いてみます。
 
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杉山城の縄張り
緩傾斜の三方向に梯郭式に郭を張出し、大軍で攻められても、前線を徐々に引きながら、兵の損耗を最少にして、継続的な応戦が可能な分厚い防御が出来る。
攻め手にすれば、一定の犠牲を強いられる場面が何度もあり、多大な犠牲を払う事になる。
 
 
 
杉山城を歩く
 杉山城は関越道の“嵐山小川IC”の南隣りの小山にあり、クルマで簡単に行ける城です。
玉ノ岡中学校の西にあるお寺さん(名前を忘れた)を目指して行きます。
 
 お寺にも駐車場はありますが、檀家さん用のものなのは明確なので、お寺を左に見ながら登って行きます。
行き止まりが広場になっていて、駐車できるのでここに停めます。
 
 ちなみに杉山城は国の史跡ですが、すべて私有地内にあり、
地主さんのご厚意で見学できる城なので、感謝の気持ちでマナーを守って見学する事が必要です。
以下、写真とともに見て行きます。
 
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南三ノ郭虎口 
真ん中上の凹みが虎口だが、下の堀に降りて左手の平地に這い上がり、土橋を渡って門に辿り着く。
その間ずっと上の郭から狙われっぱなしで、死角は無い。
  
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南三ノ郭土塁 
土塁には大きな折れが付けてあり、土塁に張り付いた敵兵を何処からでも多人数で狙え、必ず仕留める。
  
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本郭西の土塁と空堀
急斜面を無事に登り切った敵兵は、目の前の堀と高い土塁に立ち往生
本郭入り口は奥にグルリと回り込まねばならず、細い犬走りを長い距離移動しなければならない
その間、上から射撃されっ放しになる。
  
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梯郭式に積み重なる郭
戦況に応じて徐々に退避しながら応戦ができる。
敵は郭を突破する毎に多大な犠牲を払い、最後まで攻めきれず撤退を余儀なくされる。
 
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本郭西の竪堀に架かる土橋
一斉にワッと動けない仕掛けで、速度を落し一人ずつ渡る所を狙い撃ちする。
 
 
 一通り見学して下城します。
本郭を中心に三方向に郭の広がる縄張りですが、山城の基本である1対1で対峙しない、敵により多くの損害を与える、耐え抜いて諦めさせる構造とはどんなものか良く理解できました。
 この点はその後の城の構造を見ても及ばないモノが多々ある気がします。
郭が孤立して“玉砕覚悟”の城って意外に多いですから。
 
 弱点…といえば何なのか、それは時代背景も絡みますが、個々の構造が小さい事に尽きる気がします。
狭い城域にゴチャッとしてる感は否めません。
これでは明らかに鉄砲主体の戦には耐えられないし、弓矢の時代の“天才武将”が築いた城なのかなぁ…。 
それにしては縄張りの技術が多彩過ぎるし、難しい所ですね。
 
 落としどころが無いので、私的考察は…
①山内上杉時代の城跡に北条氏が技術者を派遣して改造さ
 せたが、オタク過ぎて実戦観点でボツになった。
②北武蔵の新たな従属者の為にわざと造った縄張り研究と
 築城見本の施設。
とでもしときましょうか。