小田原城の続きです…。
 
 
 さらに奥に進んで行きます。
この道は“からたちの小径”という名前がある様です。
 からたちはトゲが大きくて、侵入者を防ぐ為に武家屋敷に好んで植えられてた様ですが、肝心の“からたち”は一本もありませんw  
代わりにはなりませんが、野イチゴがたくさんありました。
 
 周囲の樹木が途切れて視界が広がると、北側の山々が眼に飛び込んできます。 
ここは小田原城での一番の高地で(そういえばずっと登りだったな…)、北から西の景色が一望です。
 
イメージ 1 
 御鐘ノ台より 羽柴秀次陣所あたりを臨む
  
 大正期にここを訪れた北原白秋が、この景色を『野外劇場』と命名したそうです。 
それだけに、秀吉の小田原攻めの際には、石橋山はもちろん、包囲する細川忠興、織田信包、宇喜多秀家、羽柴秀次、羽柴秀勝、蒲生氏郷の陣が丸見えで、陣幕と林立する幟旗にさぞかし戦慄を覚えた事でしょうね。
 ここの守将は氏政の弟の佐野氏忠です。
 
イメージ 2
からたちの小径
 
  
6.城山公園
 しばらく景色を楽しんだ後、郭内に戻って行きます。
小峯の大堀切の内側は広い平坦地になっていて、“城山公園”として整備されています。
当時は重要な武者溜りの位置ですから、広場なんでしょうね。
 
 その北側はドンと低くなって、陸上競技場のアンツーカーが見えるから、ここも広い曲輪です。 
 御殿曲輪というからには、本丸以外の御殿があったのかな?
そうすると、御用米曲輪から出土してるのは…?
 
 合戦の陣立て図にも本城:氏政、新城:氏直みたいな標記があるから、ダブルであったのかも。
*御用米曲輪の説明会では八幡古郭からは何も出てない…と言ってたが。
 文久の古図でもここは山野なので、謎なエリアです。
 
イメージ 3
 城山公園
何も無く誰も来ない あまり意味の無い公園になってしまってる 
 
 
7.本曲輪
 城山公園を東に抜けると、いよいよ主郭のエリアです。
この境界にも小峯同様の大堀切になっていた様ですが、今は埋められています。
 主郭は西から“藤原平”、“西曲輪”、“本曲輪”と続くのですが、これらは全て“小田原高校”の地下に眠っています。
 学校の改築の際に大々的に発掘調査がされた様で、考え様によっては県の意思次第でいつでも移転・復元は可能という事ですねw
 
イメージ 4 
 
 
 “本曲輪”の一部が見られる様なので、入って行って見ます。
校舎の裏に南側の土塁or櫓台の土盛りがあって、ポケットパークになっています。
 ちょうど女子テニスの大会だった様で、父兄がたむろしていて、ちょっと場違いでしたが、氏政までの当主の座所が判りました。
 
イメージ 5
本曲輪の南土塁
かなり場違いな雰囲気だった… 復興天守が見える方向には木を繫らせてあります
  
 
8.下城
 
良い刻限になったので、ここから駅に向かいます。
急な南斜面は南曲輪、八幡曲輪などの郭だった筈ですが、完全に住宅地と化していて、もうこれはどうにもなりません。
 
 ちょっとだけ御用米曲輪も上から覗いて見ますが、活動停止中な感じでしたね。 
それより、小田原新城の観光客の多いこと…。 
古城は殆ど貸切りだったのに、ブログでウダウダ言っても、これはもう…敵いませんね。
 
イメージ 6
からたち 一本だけありました
野いちごも
 
イメージ 7