日本100名城  №29  松本城            登城日 2013.12.28
 
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所在地      長野県松本市丸の内4-1
城郭構造    梯郭式+輪郭式平城
通称        烏城、深志城
築城年      1504年(永正元年) 室町時代
築城主      小笠原長棟
主な改修者   石川数正・康長父子、松平直政
主な城主    小笠原氏、石川氏、松平氏、堀田氏、水野氏、戸田氏
廃城年      1871年(明治4年年)
遺構        現存天守、石垣、土塁、堀、二の丸土蔵
文化財指定   国宝(天守)、国の史跡
 
 
 年の瀬の皆が忙しくしてる隙をねらって、国宝:松本城に行って来ました。
俄かな城ブームで、こうゆう一級品の城にはなかなか近寄れない昨今ですが、狙いが的中して、人出も少なく、じっくり見る事ができました。
 
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 とにかく美しい天守です
 
 
 松本城の前身は“深志城”といい、信濃守護職:小笠原長棟がその居城:“林城”の支城として築城されました。
 後に諏訪、高遠と侵攻した武田氏の手がこの松本平にも及び、小笠原氏は没落してしまいます。
 武田氏は深志城を拠点と定め、この地を支配します。 
武田氏が滅んだ後は木曽義昌が掌握しますが、すぐに上杉氏の後ろ盾を得た小笠原洞雪斎が奪還します。
 
 その後信濃は徳川家康の勢力下となり、配下だった小笠原貞慶に与えられ、貞慶が松本城と改名しました。
 徳川の関東移封に伴い、松本には石川数正が入ります。 
数正はその子康長と松本城の大改修を行ない、現在に伝わる城の大半をこの時に整備しました。
石川氏の後には松平氏、水野氏、戸田氏と繋いで明治を迎えます。
 
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二ノ丸太鼓門  櫓台に巨石が…。
 
 
 とにかく綺麗な天守です。
どの角度から見ても違う表情を見せながら、絵になります。
 
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本丸内から
 
 
 内部に入りました。柱といわず梁といわず、全て槍鉋仕上げ。
床の使い込まれた光沢…すべてがホンモノです。
 
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傷跡にも歴史があります。 いつの頃のものでしょうか
 
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この積み方は、あまり見ませんね
 
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黒から銀へ…光の角度で見え方が変わりますね。
登城時とは随分表情が違います。
 
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池の鯉が『またコイ!』と言ってます