日本100名城 №7 多賀城 登城日 2013.11.09

所在地 城県多賀城市市川字城前
城郭構造
通称
築城年 724年(神亀元年) 平安時代
築城主
主な改修者 藤原朝狩、北畠顕家
主な城主
廃城年 ?年
遺構
文化財指定 特別史跡
城郭構造
通称
築城年 724年(神亀元年) 平安時代
築城主
主な改修者 藤原朝狩、北畠顕家
主な城主
廃城年 ?年
遺構
文化財指定 特別史跡
仙台駅に戻って、次は多賀城に向かいます。
多賀城が100名城というのもどうかなぁ…とは思いますが、平安の世の城の機能に触れられたらと思います。
多賀城が100名城というのもどうかなぁ…とは思いますが、平安の世の城の機能に触れられたらと思います。
多賀城の創設は奈良時代と古く、大和朝廷が“蝦夷”との境界に設置した城塞が始まりでした。
その後、戦線が北上するに従って前線の補給基地になり、安全が確保された事で国府が移動して来て、陸奥国における政治、司法、軍事、物流の中心でした。
その後、戦線が北上するに従って前線の補給基地になり、安全が確保された事で国府が移動して来て、陸奥国における政治、司法、軍事、物流の中心でした。
平安中期、律令制による支配体制が緩むと寂れて行きますが、東北の騒乱“前九年の役”“後三年の役”では重要拠点として登場します。
時代は下がって南北朝の頃、陸奥守に任じられた北畠顕家が“義良親王”を奉じて多賀城に入り、“陸奥将軍府”を立ち上げていますが、その後に歴史の舞台に昇る事はありませんでした。
時代は下がって南北朝の頃、陸奥守に任じられた北畠顕家が“義良親王”を奉じて多賀城に入り、“陸奥将軍府”を立ち上げていますが、その後に歴史の舞台に昇る事はありませんでした。
江戸中期、東北紀行で訪れた松尾芭蕉は、あまりの荒廃ぶりに落涙したと言われます。
近年、国の史跡として発掘調査と歴史公園としての整備が進み、政庁跡の基壇などが復元されています。
近年、国の史跡として発掘調査と歴史公園としての整備が進み、政庁跡の基壇などが復元されています。

駅前の時計台もそれっぽいw
多賀城を歩く
1.アプローチ
多賀城は多賀城市にあり、東北本線の“国府多賀城”が最寄駅ですが、同じ市内に仙石線の“多賀城”駅があり、間違いやすいので注意が必要です。
1.アプローチ
多賀城は多賀城市にあり、東北本線の“国府多賀城”が最寄駅ですが、同じ市内に仙石線の“多賀城”駅があり、間違いやすいので注意が必要です。
東北本線といえば聞こえはイイですが、新幹線開通後は普通のローカル線で、本数が少ないからこちらも要注意ですね。
とは言え、ローカル線も旅の醍醐味です。
仙台から4駅、20分ほどで国府多賀城に着きます。
この駅、予想を遥かに超える立派な駅舎で、駅前もロータリーが整備されています。
仙台から4駅、20分ほどで国府多賀城に着きます。
この駅、予想を遥かに超える立派な駅舎で、駅前もロータリーが整備されています。
ただ、降りる客も、駅前を歩く人も殆ど居ませんw
南側には“東北歴史博物館”なる巨大な新しい建物があります。
南側には“東北歴史博物館”なる巨大な新しい建物があります。
“東北”とはまた大きく出たものですが、後で寄って見ます。
降りるのは北側で、北の丘陵一帯が歴史公園で、いろんな遺跡がある様です。
案内所で道順を聞いて、歩きます。
降りるのは北側で、北の丘陵一帯が歴史公園で、いろんな遺跡がある様です。
案内所で道順を聞いて、歩きます。

なんとなく、奈良の明日香村っぽい道と風景
2.登城路
ガイドマップに沿って遺跡を見ながら歩いて行き、芭蕉が見た“多賀城碑”(今は建物に入って保護されている)に寄って行くと、県道の信号脇に観光駐車場があり、政庁の入口の様です。
ガイドマップに沿って遺跡を見ながら歩いて行き、芭蕉が見た“多賀城碑”(今は建物に入って保護されている)に寄って行くと、県道の信号脇に観光駐車場があり、政庁の入口の様です。
そこから政庁跡に向け、一直線に幅23mの“南大路”が再現されています。 ただ、地図上は真っすぐなんでしょうが、丘を越えてうねった地形にありますから、“打上げのロングホール”にしか見えませんw

15番 PAR5?
3.政庁跡
坂を登り切ると、政庁の遺構が見えて来ました。
遺構と言っても、礎石とその周囲を固めて建物の規模と位置を示したモノだけですが、150m四方くらいの平坦地に、門に対して正面に正殿、その後ろに後殿があり、左右対称に幾つかの建物跡が復元されていました。
坂を登り切ると、政庁の遺構が見えて来ました。
遺構と言っても、礎石とその周囲を固めて建物の規模と位置を示したモノだけですが、150m四方くらいの平坦地に、門に対して正面に正殿、その後ろに後殿があり、左右対称に幾つかの建物跡が復元されていました。

復元:正殿の基壇
周囲は防御機能として築地塀で囲まれていた様ですが、その外側は左右とも崖になっていて、直接攻撃できるものではありません。
ただ、北側はほとんどフラットで、少し歩いて見ても堀切などは見つかりませんでした。
ここまで来ると意外に盛況で、観光バスの団体も居て、ボランティアガイドさんも出て説明されていました。
ただ、北側はほとんどフラットで、少し歩いて見ても堀切などは見つかりませんでした。
ここまで来ると意外に盛況で、観光バスの団体も居て、ボランティアガイドさんも出て説明されていました。

門の基壇と土塀(復元)
4.東北歴史博物館
博物館を見る時間が無くなるので、駅に戻ります。
入館してチケットを買おうとすると、あと30分で閉館との事で、やや迷惑そうだったので断念します。
といっても、まだ電車の時間には早いので、併設してある古民家が見えたので、ブラブラ行って見ます。
博物館を見る時間が無くなるので、駅に戻ります。
入館してチケットを買おうとすると、あと30分で閉館との事で、やや迷惑そうだったので断念します。
といっても、まだ電車の時間には早いので、併設してある古民家が見えたので、ブラブラ行って見ます。
晩秋の東北の夕方、寒さが身に沁みます…。
家屋の外から見学していると、中から声を掛けられました。
覗いてみると、囲炉裏に火が燃えており、周りにボランティアガイドさんが集まっています。
状況からして『寒いがらぁ、暖まって行っでけろぉ』と、自分で勝手に訳してズカズカ入り、暖を取らせて貰います。
状況からして『寒いがらぁ、暖まって行っでけろぉ』と、自分で勝手に訳してズカズカ入り、暖を取らせて貰います。
江戸時代の庄屋の家を北上から移築したもの…らしく、スキマだらけの家ですが、我々が子供の頃住んでた家も、実はああだったこうだったと話がはずみ、身も心も暖まりました。
ガイドさんが戸締りを始め、池に集っていたカモ達もタイムカードを押して家路につきだしたので、駅に向かいます。
ガイドさんが戸締りを始め、池に集っていたカモ達もタイムカードを押して家路につきだしたので、駅に向かいます。

移築:今野家住宅
ps この後、仙台に戻って、仙山線に乗り換えて、作並温泉で泊まる予定ですが、電車が事故で大幅に遅れ、夕飯にありついたのは8時を過ぎていました。