本100名城  №92  熊本城              登城日 2013.07.13
 
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所在地      熊本県熊本市中央区
城郭構造    梯郭式平山城
通称        千葉城、隈本城、銀杏城
築城年       1480年頃
築城主       出田秀信
主な改修者    加藤清正
主な城主     加藤氏、細川氏
廃城年       1874年(年)
遺構         櫓・門・塀、石垣、堀
文化財指定   国の重要文化財(櫓11棟、門1棟、塀1棟)、国の特別史跡
 
 
 10日ほど前に名古屋城を観たばかりに拘わらず、なんと熊本城に来る事になってしまいました。
この城を観るには、それなりの下調べと心の準備が必要と思っていたのですが、熊本での仕事が昼までで片付く事になり、折角のチャンスですから、登城して見る事にしました。
 
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現在の熊本の顔w
 
 熊本城の起こりは、室町時代にこの地を支配した菊池氏がこの丘陵地に相次いで築いた“千葉城”と“隈本城”で、戦国後期までに大友氏と島津氏が争奪を繰り広げました。 
 豊臣秀吉により“九州仕置き”が行なわれると、織田系の有力武将“佐々成政”が入りますが、秀吉の『肥後は土豪の力が強いので仲良くやる様に』との忠告を無視して“国人一揆”を引き起こしてしまいます。
 この責めを負って佐々家は改易、成政は自刃して果てました。
 
 変わって肥後半国19万5千石で熊本に来たのが加藤清正で、清正は1591年から両城に跨る大城郭の築城を始め、“関ヶ原の戦”で52万石に加増された後の1606年に完成し、城名を正式に“熊本城”と定めました。
 築城名人だった清正は、芸術的レベルにあった石垣技術を駆使して、大名単独では類を見ない堅固な要塞城を完成させますが、二代:忠広の時に加藤家は改易となってしまいます。
 
 熊本には豊前小倉から細川忠利が入ってきます。 
名城の誉れ高い熊本城を得た忠利は、入城に際しては清正の廟所を遥拝して清正に礼を尽くしたそうです。
 以後は細川家の治政の元で明治維新を迎えるのですが、郭外に“花畑屋敷”を造営してそこに居住したそうです。
幕府に忠誠を誓いながらも、豊臣家に孝を尽くした清正とは一線を画したかったのかも知れませんね。
 
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内堀:坪井川と長塀
 
 
 
熊本城を歩く
1.アプローチ
 今回は熊本空港からのアプローチです。
空港ですから市内に向かうリムジンバスがあり、これを利用します。
 のんびりバスに揺られて小一時間、熊本城にほど近い“通町筋”でバスを降ります。
熊本城は市街の北西の高台を城塞化した城ですが、この高台に沿って三本の川が流れており、これを堀として使った模様です。
 東を流れる“白川”は外郭の外堀であり、その西=城の真下には“坪井川”が流れていて内堀を成しています。 
城郭の西の外れには坪井川支流の“井芹川”があり、西の外堀機能だった事でしょう。
 
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 バスを降りた通町筋は市内有数の繁華街で、東側の外堀と内堀の間にあり、かつては武家屋敷街だった所です。 
バスを降りるともう熊本城の雄姿が西に望めます。
 それを目当てに通りを歩いて行くと、豪壮な石垣が立ちはだかり、その手前を堀の様な川の流れがあります。 坪井川ですね。
 橋を渡った所に城への入口“須戸口門”があるので、ここから登城します。 10年ぶり3回目の登城ですが、見上げる石垣の上の建物が増えた感じがしますね。
 
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須戸口門と現存櫓
 
 
2.竹ノ丸
 熊本城は城下に近い東側を主郭として、高石垣と高層の櫓群で固めており、緩やかに下って行く西側は幾筋かの空堀+土塁で仕切った、東に重い城です。
 須戸口門を潜るともうそこは本丸エリアで、いきなりハイライトな気分です。
それでも梯郭式本丸の各郭には名前がついていて、門内は“竹ノ丸”と呼ばれています。
ここは馬出しの機能なのでしょうか、坪井川(内堀)沿いに有名な長塀があり、東西に須戸口門、櫨方門を持っています。
 
 郭内から天守方向を見ると、高石垣が聳え、台上には東竹ノ丸の復元櫓と土塀があります。
 熊本城の特徴はこの下層段階の石垣からすでに高石垣な所ですね。 
圧倒されます。
 
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   郭中央の複雑な石積みの枡形構造を登って行くと、途中に妙な櫓台があります。台上に登る階段や地階構造の無い櫓台です。
“独立櫓跡”とありますから、籠ったらもう侵入できない孤立要塞の様な機能で虎口を守っていたのでしょうか。
 
 
.飯田
 さらに登ると、右手は“東竹ノ丸”、左手は“飯田丸”になります。東竹ノ丸の平櫓群も素晴らしいけど、飯田丸には近年復元された“五階櫓”があるので、そちらを見てみます。
 飯田丸は清正の“清正流”を支えた重臣“飯田覚兵衛”が守った郭という事で、郭構造にも力が入っているものと思われます。
 
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新築の五階櫓
外見で新しさを感じさせるのは、軒のラインが乱れてない事くらいw
 
 五階櫓というのは他の城では例が無いのですが、熊本城では最盛期六棟もの五階櫓が聳えたと言いますから、資金を顧みない強固な備えです。
 
櫓の内部に入ってみます。 
まだ築5年の物件は新品同様で、木の香りが漂います。 
新しくても違和感を覚えないのは古式工法の完全復元櫓だからでしょうね。部材はすべて槍鉋の仕上げです。
 
 外側壁面には多くの銃眼が備わってて、試しにひとつひとつ覗いて見ましたが、微妙に角度を変えてあって、死角のない構造です。
当時は当たり前の事だけど、ここまで復元する城は見た事ありません、これはスゴイ!
 
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庭先の銀杏は歴史を感じさせます
 
 
 後編につづく