日本100名城 №12  会津若松城《前編》登城日 2013.05.19
 
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所在地     福島県会津若松市追手町1-1
城郭構造   梯郭式平山城
通称        鶴ヶ城、会津若松城、黒川城
築城年      1384年(元中元年) 室町時代
築城主      蘆名直盛
主な改修者  蒲生氏郷、加藤明成
主な城主    蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、保科氏・会津松平家
廃城年      1874年(明治7年)
遺構        石垣、土塁、堀
文化財指定  国の史跡
 
 
 二本松を早めに切り上げて、前日は西郷頼母邸を見て郊外の東山温泉で一泊しました。 ただでさえ人気の城なのに、今年は『大河ドラマ』の舞台で、雑多な観光客で混み合うの必至なので、早朝の若松城登城です。
 
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郊外に移転復元されてる 筆頭家老:西郷頼母邸 大きな悲劇がありました
 
 若松の地は室町初期から蘆名氏の領地で、“黒川城”を構えて、城下が形成されていました。
 蘆名氏が最盛期を迎えるのは盛氏の頃で、東北では伊達氏と並び称される有力大名でしたが、盛氏死後は跡継ぎの早世と家臣統率に苦しんで、衰えて行きます。
 跡継ぎには同盟する佐竹義宣の弟の義広が入りますが、豊臣期の1588年、伊達政宗に攻められて滅亡します。
 一瞬は会津を領した政宗ですが、秀吉に『惣無事令違反』と断罪されて、召し上げられてしまいます。
 
 替わって会津に来たのは蒲生氏郷で、黒川城を新たに92万石の太守にふさわしい“近世城郭”に整備し、城下も整備して地名を“若松”、城名を“鶴ヶ城”と変えました。
 七重天守を持つ豪壮な縄張りの城で、今日見られる遺構の殆どは、その時のものです。
 
 氏郷の子の秀行が失政で宇都宮に去ると、越後から上杉景勝が120万石でやって来ます。
 関ヶ原の折、徳川との決戦を決意した景勝には“鶴ヶ城”でも手狭だったようで、郊外に神指城を企画し築城を始めますが、西の終戦を受けて、景勝は米沢に去ります。
 
 若松には再度蒲生氏が帰り咲きますが、二代で伊予に転封し、伊予から加藤嘉明が入ります。
 嘉明は地震で倒壊した天守を今日見られる層塔型天守に改変しましたが、やがて改易となり、山形から保科正之が入り、明治維新まで保科松平氏の城として続いて行きます。
 
 知っての通り、この城は戊辰戦争で主戦場となります。
この時の為に家康が整えた天下普請の城塞が、次々に無血開城する中で、戦国末期の城が300年後の戦闘でどう戦えるか…興味深い所ですが、近代武装の新政府軍も、城内に侵入制圧する事は出来ず。 
大砲による消耗戦の末に1ヶ月後の開城降伏となりました。
 
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会津の象徴 磐梯山
  
 
 
 
若松城を歩く
1.アプローチ
 東北道を郡山JCで磐越道に入り、会津若松ICで降りてR49,R118で若松城の堀端に出ます。
駐車場は今回は“西出丸”に停めましたが、三ノ丸界隈にも多数の駐車場があり、クルマに優しい城ですね。
 鉄路を使った場合、只見線の西若松駅から徒歩1kmですが、城下の雰囲気を愉しむならこちらかも知れません。
 
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2.西出丸
 若松城は前述の様に“太守の城”で、広大な城域を誇っていましたが、今日城址公園として残っているのは、内堀に囲まれた“本丸”“二ノ丸”“北出丸”“西出丸”のみです。
 その西出丸が駐車場となっているので、そこからスタートします。
出丸といっても結構な広さで、クルマ200台は優に停められる上、周囲を土塁が巻いて、隅櫓が二つ、外側は総石垣で水堀を持つ堅固な要塞です。
 本丸へはそれぞれ出丸を経由しないと入れません。 
相当数の兵を展開して、本丸を守る“武者溜り”の機能も備えている様ですね。
 堀に見慣れぬ大きな魚が泳いでいます。アロワナ?と思ったけど、雷魚の様です。
 
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西出丸から見た外堀
戊辰戦争の最前線だが弾痕は見つからず
  
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 堀を泳いでいた魚 アロワナ? …雷魚の類の様です
 
 
3.本丸
 西出丸から本丸へは、西中門から入って行きます。 
両側を石垣に囲まれた、逃げ場のない坂を登り、上に大きな枡形を持つ立派な門です。
 建物は無いのですが、石垣を見ると切り込み接ぎの実に細かい細工で繋いでいます。 江戸期の技術だから、加藤時代に改修のものか?
 
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見事な石の加工技術
 
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 枡形門はやはり危険な空間です
 
 
   本丸に入ると天守の西の袂で、逆光で見上げる形になります。 
この城、7年ぶり2回目ですが、天守の瓦が赤色に替わっていました。 
情報では知っていましたが、なかなか似合うと思います。
 天守台の石垣はなんと野面積み。
しかも河原石に近い丸石を使用しています。 
これで七重天守を支えられるのだろうか…と心配になりますが、明治の古写真とほぼ同じですね。
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本丸の石垣は蒲生の匂いがプンプンします
 
 
 8時を過ぎて、観光客も集まりだしています。 行列にならないうちに天守を拝観しておきます。
 
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後編へつづく