日本100名城 №13 白河小峰城 登城日 2013.05.18

所在地 福島県白河市郭内
城郭構造 梯郭式平山城
通称 白河城、小峰城
築城年 1340年(興国元年) 室町時代
築城主 結城親朝
主な改修者 丹羽長重
主な城主 結城氏、蒲生氏、丹羽氏、松平氏、阿部氏
廃城年 1871年(明治4年年)
遺構 石垣、土塁、堀
文化財指定 国の史跡
城郭構造 梯郭式平山城
通称 白河城、小峰城
築城年 1340年(興国元年) 室町時代
築城主 結城親朝
主な改修者 丹羽長重
主な城主 結城氏、蒲生氏、丹羽氏、松平氏、阿部氏
廃城年 1871年(明治4年年)
遺構 石垣、土塁、堀
文化財指定 国の史跡
この週末はクルマで福島県が誇る3城をめぐります。
最初は白河小峰城、 初めての登城ですが、震災での石垣の惨状は想像以上ですね…。
最初は白河小峰城、 初めての登城ですが、震災での石垣の惨状は想像以上ですね…。
この城の成り立ちは南北朝時代の1340年に結城親朝が領地白河の小峰ヶ岡に築いた事によります。
戦国末、秀吉の“奥州仕置き”で結城氏は改易され、白河は“会津領”となって蒲生氏、上杉氏の支配を受けます。
江戸時代になると“丹羽長重”が10万石で入り、幕命によって城の大改築を行ない、4年の歳月を掛けて三層天守を持つ総石垣の城が出来上がりました。
現在残る縄張り遺構はほぼこの時のもので、その後、榊原、本多、奥平松平、越前松平、久松松平、阿部氏と7家21代が入れ替わり城を守りますが、幕末の慶応3年、白河藩は天領となり、二本松藩の預かりとなります。
翌慶応4年には戊辰戦争の舞台となり、西郷頼母率いる“奥羽越列藩同盟軍”が入城して、新政府軍との間に激しい戦闘を繰り広げます。
この戦いで白河小峰城は建物のほとんどを焼失する被害を受け、落城しました。
その後の城址は三ノ丸が市街化され、他は放置状態でしたが、平成に入り城の復元が急ピッチでなされ、1991年には本丸三重櫓(天守)が、1994年には前御門が資料に基づいて建てられ、2010年に国の史跡に指定されました。
2011年、東日本大震災においては城としては最大の被害を受け、多くの石垣が崩落して、本丸内は立ち入り禁止となりました。
旧状回復に向けて復旧工事が今も続いています。
旧状回復に向けて復旧工事が今も続いています。

崩落した櫓台 石垣は真ん中から崩れるのですね
白河小峰城を歩く
1.アプローチ
東北道は白河ICが最寄で、R4で白河市街に東進して、東北本線白河駅の北側に向かいますが、本当に看板が無いので、ナビを頼りに“白河集古苑”を目指します。
白河集古苑は城の資料館で、大きな駐車場を完備しており、駐車に困る事はありません。
東北道は白河ICが最寄で、R4で白河市街に東進して、東北本線白河駅の北側に向かいますが、本当に看板が無いので、ナビを頼りに“白河集古苑”を目指します。
白河集古苑は城の資料館で、大きな駐車場を完備しており、駐車に困る事はありません。

2.白河集古苑
まず集古苑に入ります。 集古苑は城内二ノ丸にあり、天守の景観に合わせた城館風の立派な建物で、結城家と最後の藩主:阿部家の資料を主に展示していますが、モノ自体そう多くはありません。
軽食が摂れる休憩所なども併設してて、人力車夫も居ました。
一通り館内を見てから、堀越しに本丸を見ます。
まず集古苑に入ります。 集古苑は城内二ノ丸にあり、天守の景観に合わせた城館風の立派な建物で、結城家と最後の藩主:阿部家の資料を主に展示していますが、モノ自体そう多くはありません。
軽食が摂れる休憩所なども併設してて、人力車夫も居ました。
一通り館内を見てから、堀越しに本丸を見ます。

3.本丸
先述の様に、本丸内は立ち入り禁止です。
城の構造よりも、震災被害の惨状にまず眼が行ってしまいます。
先述の様に、本丸内は立ち入り禁止です。
城の構造よりも、震災被害の惨状にまず眼が行ってしまいます。
切り込み接ぎの石粒の揃ったキレイな石垣ですが、算木積みの角石はそのままの状態で押し出され、中間の布積み及び谷積みの石が上半分崩れ落ちています。
城の石はこんな崩れ方をするんですね。
近代に修理した所が崩れた…という説明をされていましたが、石垣に限って言えば“現代工法”や“職人の腕”は退化してるという事です。
復元建物は幸い無事で、小ぶりながら品良くきれいな三層天守が見えます。
堀は内堀になりますが、50m近い幅をもつ本格的な水堀です。
その向こうの本丸石垣も10m以上ある高石垣で、当時はバランスの良い綺麗な城だった事が容易に判ります。
小ぶりながら“東北三名城”と言われた理由がなんとなく判りました。
小ぶりながら“東北三名城”と言われた理由がなんとなく判りました。

4.堀端周回
本丸に入ってジックリ見せて貰いたい所ですが、叶わないので堀の外側をグルリ一周して見ます。
堀端には多くの釣り人が糸を垂れてて、県外ナンバーのクルマも停まっています。 聞けば“ヘラブナ”釣りの名所なんだそうです。
『白河の清きに魚の棲みかねて 元の濁りの田沼恋しき』という狂歌がありましたが、現代はこうですw
本丸に入ってジックリ見せて貰いたい所ですが、叶わないので堀の外側をグルリ一周して見ます。
堀端には多くの釣り人が糸を垂れてて、県外ナンバーのクルマも停まっています。 聞けば“ヘラブナ”釣りの名所なんだそうです。
『白河の清きに魚の棲みかねて 元の濁りの田沼恋しき』という狂歌がありましたが、現代はこうですw
本丸の西側から北側に廻っても、石垣の崩れは至る所に見られます。
崩れてなくても大きく変形して、一度解体が必要な部分も含めると、大変な工事になります。 これは大変だ。

本丸の西側の堀は埋められてて、100m×500mくらいの空き地になっていますが、崩れた石が搬出されて並べられていました。
搬出した量は多くは無いでしょうが、それが並んでると膨大な量に見えます。 これは大変だ。


4.下城
一周して集古館に戻ってきました。
一周して集古館に戻ってきました。
何かのイベントか甲冑姿の“おもてなし隊”が居ます。
武士が2人と姫が1人、武士の持ってる“指物”には“丹羽長重”“松平定信”と書いてあります。
ただ、年齢は姫も含め他の城の9人分は優にありそうでした。ただただ頭が下がります。
『頑張れ東北!』です。