日本100名城 №45 岡崎城 登城日 2013.01.05

所在地 愛知県岡崎市康生町561
城郭構造 梯郭式平山城
通称 龍城
築城年 1452年(享徳元年) 室町時代
築城主 西郷稠頼・頼嗣
主な改修者 松平清康、田中吉政
主な城主 西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏
廃城年 1873年(明治6年)
遺構 石垣、堀
文化財指定 岡崎市指定史跡
城郭構造 梯郭式平山城
通称 龍城
築城年 1452年(享徳元年) 室町時代
築城主 西郷稠頼・頼嗣
主な改修者 松平清康、田中吉政
主な城主 西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏
廃城年 1873年(明治6年)
遺構 石垣、堀
文化財指定 岡崎市指定史跡
正月明けの移動に合わせて、東海道筋の岡崎城を訪ねました。
岡崎城といえば徳川家康生誕の城ですが、その歴史は1452年まで遡り、三河守護代の西郷氏が築いた城と言われます。
当時は龍燈山城と呼ばれたこの城を松平清康(家康の祖父)が奪い取り、岡崎城に改名して居城としました。
当時は龍燈山城と呼ばれたこの城を松平清康(家康の祖父)が奪い取り、岡崎城に改名して居城としました。
一旦、今川氏に従属して城代を受け容れる時期もありましたが、今川義元の敗死の後は家康が復帰・独立し、再び松平氏の居城となります。
その後遠江に領地を拡げた家康は、本拠地を浜松に移し、岡崎には嫡男信康を入れますが、廃嫡後には石川数正が管理します。
その後遠江に領地を拡げた家康は、本拠地を浜松に移し、岡崎には嫡男信康を入れますが、廃嫡後には石川数正が管理します。
そして家康の関東移封により、岡崎には秀吉の直臣の田中吉正が入ります。
吉正は家康への抑えとして、土塁・萱葺きの田舎城だった岡崎城を大改造し、石垣を積んで近世城郭へと変貌させます。
現在の岡崎城の殆どは、この時に出来たと言われています。
その時点では東海で三指に入る大城郭だったそうです。
その時点では東海で三指に入る大城郭だったそうです。
江戸時代になると、徳川譜代の本多康重が入り、以後は“家康生誕の特別な城”として、徳川譜代の大名が繋いで維新を迎えます。

復興天守
岡崎城を歩く
1.アプローチ
岡崎城は岡崎市の中心部、1号線沿いにあります。
東名岡崎ICからは、1号線に降りて西へ2kmほど。矢作川を渡る手前にある“岡崎公園”の大きな看板を左折すれば駐車場があります。
広い城域を持つ城だった様ですが、残っているのは中心部のみで、“岡崎公園”として保護・整備されています。
1.アプローチ
岡崎城は岡崎市の中心部、1号線沿いにあります。
東名岡崎ICからは、1号線に降りて西へ2kmほど。矢作川を渡る手前にある“岡崎公園”の大きな看板を左折すれば駐車場があります。
広い城域を持つ城だった様ですが、残っているのは中心部のみで、“岡崎公園”として保護・整備されています。
2.城内へ
10年ぶりくらいの登城ですが、なんかいっぱい建ってますね。
10年ぶりくらいの登城ですが、なんかいっぱい建ってますね。

不自然な石垣の、よくわからない櫓
この奥にも“大手門”という門が単体で座っています。
枡形の中にある渡り櫓門の形式ですが、段差のない平地にあり、櫓台の石垣はきれいな切り込み接ぎ…。時代考証も何も有ったもんじゃないです。
この城、本丸の裏側あたりは見事な遺構があるんですよね。
この城、本丸の裏側あたりは見事な遺構があるんですよね。

天守東の石類塁群

本丸下をめぐる空堀

西へ下る門跡
こうゆう所をキチンと整備してくれたらイイ城なのに…。
無計画に観光施設ばかり増やしても、史跡指定されないでしょ?
立派に見えれば中身は問わない…三河人共通の気風なんでしょうかね?