江戸城 第一回 続きです
 
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本丸御殿跡 広大です
 
 “中雀門”を過ぎると、本丸御殿跡の広大な広場が目の前に広がります。
1万坪を超える敷地に、表・中奥・大奥と、目いっぱい御殿が建っていたのですから、独裁権力者とは恐ろしいものです。
 
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現存:富士見櫓
 
  本丸の外周にはクスの大木が多く植えられ、快適な木陰を作っていますが、それに添う様に遊歩道があるので、西回りで歩いて見ます。 
最初に見えるのが現存の富士見櫓で、天守なき後は天守の代用にされ、将軍がここから深川の花火を楽しんだと伝わります。残念ながら立ち入り禁止。
 
 次は松の廊下跡が現れます。 標柱があるだけですが、廊下からどんな景色が見えてたのか、偲ぶ事ができました。
  続いて“富士見多門櫓”がある筈ですが、築山の陰になっていて見落としてしまいました。
その築山の麓にあるのが“石室”で、古墳のそれと似た構造の横穴式の石の部屋があります。 
火災の時や非常時に大事な物を収納した…とありますが、中は湿気ってる訳でもなく、防水は粘土かな? 当時の生活感のある遺構です。
 
 さらに進むと左手に柚木門が見え、狐坂を下って西桔梗門があり、蓮池堀を渡って西ノ丸へと続きます。
 もちろん、西ノ丸は皇居だから、柚木門の時点で立ち入り禁止。
皇宮警察の婦警さんが、“休め”の体勢で微動だにせずこちらを睨んでいましたw
この状態で8時間勤務もたいへんな仕事ですね。

ここまで来ると、行く手の正面に“天守台”の石垣が立ちはだかります。

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三代目天守台 浅野・前田家の合作です
白御影石の巨石ばかり!
 
 
本丸東側
 天守台のすぐ北には北桔梗門が控えています。 
現在は高麗門が残るのみですが、本丸の搦め手ですから、当時は強固な枡形門でした。
ここを出ると、乾堀を渡って北ノ丸へと続きます。
本丸北東部は全面“大奥”の敷地で、現在は宮内庁の施設が建っています。
 
 しばらく歩くと、休憩所の建物が有るので、脚と頭脳もひと休み。
江戸城に関る展示もあり、売店では徳川&皇室goodsが買えます。
 休憩所の前が“台所前三重櫓”の跡で、櫓台が展望台として開放されてます。 
眼下に白鳥堀と二ノ丸庭園、その向こうの城外は丸の内のビル街が拡がり、大都会と城のコントラストが楽しめるお奨めポイントです。
 
 やや戻って、汐見坂門から二ノ丸へ降りて行きます。
門の建物は無いんですけど、やや降りた坂の途中に門の跡があり、珍しい形式です。
 汐見坂の由来は、御殿勤めの直臣が一日の役を終えて下城する時に使い、ちょうど見える日比谷の海が、夕日で輝いていた…という風情のあるものです。 
今は海は遥か遠くになってしまいましたが…。

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汐見坂 御家人の出退勤路だった
 
 
二ノ丸庭園
 二ノ丸の用途は、将軍の家族(幼い子弟)が住んだ所で、二ノ丸御殿がありました。 
御殿はもう有りませんが、その跡地は昭和天皇の肝いりで、武蔵野の風情を伝える雑木林になっています。
幼い頃に駆け回った森…が思い出され、キュンとなる人も多いはず。
 
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二ノ丸庭園 広くてのんびり出来ます
 
 
 雑木林を抜けると、きちんと整備された日本庭園になります。
二ノ丸庭園は池や築島、茶屋などがある広大な庭で、ツツジや菖蒲の頃にはとてもきれいで、ベンチなども多めにあり、休日には時間を忘れて、一日中でものんびり過ごせる“都会のオアシス”の様です。
 
 
下城
 陽も傾いて夕刻になったので今回はこれで下城する事にします。
二ノ丸北端の梅林門から三ノ丸の平川門(ここで番号札回収)を経て竹橋駅へと向かいます。
平川門を出ると平川濠を渡る無防備な土橋が続くのですが、ここから見る本丸高石垣の屏風折れも必見のビューポイントですね。
 
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平川門外から見た美しい石垣のライン
 
 
 広大な江戸城を一日掛けて、ほんのちょっと廻りました。 
まだ北ノ丸があり、内堀と外堀の間には幾多の遺構があります。
もちろん非公開の西ノ丸(皇居)もありますし…。 
消化したのは全体の10%ほどでしょうかw
 また機会を捉えて、少しずつ廻ります。
この10%で江戸城を語るなど言語道断なのですが、今日の感想としては、ふんだんに金を掛けて造った“力を見せつける城”という感じが残りました。
 
 さすがに大都会の真ん中だけに、観光客はたくさん居ました。その半数は外国人で、圧倒的に欧米系の人が多かった様に思います。 
彼らが何を目当てに訪れるのか… たぶん名所旧跡の記念写真ではなく、もう一歩踏み込んだ“サムライの文化”なんだと思います。
 天守のある大阪や名古屋ではなく、江戸城にはそれを感じる何かがあるんでしょうね。
維持管理だけでも大変な城だけど、もし今後江戸城を復元整備するとしたら、大手門から中雀門に至る登城路をしっかり復元して欲しいと思います。